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 次代を担う大切な子ども達のために

活 動 報 告report

 

 究極の敵(脅威):アメリカ     平成24年1月27日 作成 正岡 富士夫


◆ オレンジ計画(独:ブラック、露:パープル、仏:ゴールド)と東京裁判史観
「オレンジ計画」は、「アメリカの太平洋制覇のために日本を完膚なきまでに叩きのめすとする
 戦略計画」であり、「アメリカの本音」である。「東京裁判史観」は、この戦略を見えないも
 のにするために占領政策をもって日本人の神経回路を麻痺させた、「アメリカの建前」である。
● オレンジ計画の起源と変遷
① 最初のオレンジ計画:1897年(明治31年)第25代マキンレー大統領時、海軍次官セオドア(T)
 ・ルーズベルト(海軍大学校長マハン海軍大佐の影響)によって初めて策定(翌年ハワイ併合)
<マハン著『シーパワーとアメリカの利益―現在と未来』1897年>
 1 「英米アングロサクソン連合」により、「海上交通路」を支配すべき。
 2 日本人など黄色人種移民の受け入れ反対
 3 ハワイ併合と海外における貯炭所確保の必要性
 4 パナマ運河建設の必要性(1902年着工、1914年開通)
 5 未開で野蛮な異教徒の改宗

② 19世紀後半は、剥き出しの帝国主義が加速した時代。
 1886:英のビルマ領有、独のビスマルク諸島領有、1887:仏領インドシナ獲得、1899:独の
 カロリン・マリアナ・パラオ群島領有、英のスーダン領有、ボーア戦争開戦、1900:露の満洲
 占領
③ 1901年、T・ルーズベルトが第26代大統領に就任。海軍力を棍棒にたとえ、外交とは「太い棍
 棒を持って、静かに話すことだ」という有名な言葉を遺す。
< T・ルーズベルトのアングロサクソン至上主義>
後進民族が自治能力を持っていないことは明白だ。先進民族が後進民族を統治するのは「文明の
波及」という点で人類にとって望ましく当然である。「アングロサクソンの偉大な文明」でフィ
リピンやインドやアフリカなど後進国を統治すること、彼らがアングロサクソンの統治を受ける
ことは後進国にとって望ましいことである。アメリカ人がインディアンを殺し、その土地を奪い
、彼らを支配するのも「文明の進歩」という意味で当然であり、インディアン自身にとっても幸
福なことなのだ。ハワイ原住民もフィリピン人も、インディアンと同様である。これが人類の偉
大な進歩であることを疑問に思ったことはない。・・・自分の考えは帝国主義者としての民主主
義だ。

アメリカの将来は、「大西洋側」より「太平洋側」において決まる。(1905年)

④ 1906オレンジ計画
< 対日戦争を「無制限経済戦争」と位置づけ、基本方針として>
厳しい封鎖・港や船の破壊・通商上の極端な孤立により、日本を「完全な窮乏と疲弊」に追い込
む。アメリカは日本を打ちのめすまで戦いを止めず、日本に徹底的ダメージを与えて屈服させる
。そして日本にアメリカの意思を押し付け、アメリカの目的に服従させる。
 

⑤ 1911オレンジ計画
第1段階:開戦当初は、地理的に有利な日本海軍が、太平洋のアメリカ領を占領する。
第2段階:アメリカ艦隊は西太平洋で陣容を整え、日本の通商船を破断し、海戦により日本艦隊
     を圧倒する。
第3段階:アメリカ海軍は島々を伝って北上し、日本へ接近。海上封鎖によって、日本の食糧・
     燃料・原材料を枯渇させる。さらに日本本土へ戦略爆撃をくわえて、日本を屈服させ
     る。
*最大決戦場を沖縄と想定。日本包囲のために沖縄占領は不可欠。いかなる犠牲を払ってでも沖
 縄に海軍基地を建設し、南方に進出した日本艦隊を孤立させ、日本の通商路を絶ち、沖縄から
 日本本土を爆撃する。
 

⑥ 1914オレンジ計画(F・ルーズベルト:1913年に海軍次官に就任)
 1914年(大正3年)まで、日本は太平洋諸島に軍事的関心を抱いたことはなく、日本がミクロネ
 シアに求めたのは「平和な通商」であることをアメリカは率直に認めていた。しかし、「黄禍論
 」により「移民排斥」を強化し日本を激昂させれば、「アメリカを西太平洋から駆逐する意図を
 有する日本は、貪欲かつ好戦的で自負心が強く、アメリカの力を軽蔑しているので、日米開戦の
 確率が高くなる」という大義名分を得られると考えていた。

⑦ 1923オレンジ計画(1921年日英同盟破棄、1922年ワシントン海軍軍縮条約)
1911計画の第3段階を具体化〉 アメリカ海軍は、太平洋の日本領諸島を残らず攻略して日本を
孤立させ、日本を取り囲む全海域を制圧し、日本を「海上封鎖」する。
アメリカ艦隊は迅速に進
撃して日本艦隊を東シナ海から追い払い、
日本と台湾を結ぶ通商路を絶ち、日本とインド洋・マ
レーシアなど資源地帯を結ぶ『大動脈=シーレーン』を破断する。
フィリピンの日本陸軍は地上
戦で一掃し、台湾は海軍力と空軍力で制圧する。
「沖縄」では勝敗を決する水陸両用作戦を展開
し、激しい抵抗を抑えて「沖縄を占領」する。
追い詰められた日本は、温存していた主力艦の出
撃を余儀なくされるが、
日本とフィリピンの間で行われる大海戦で、アメリカ艦隊は日本艦隊を
壊滅させる。
最後に、「日本本土に空襲」を行い、圧力を加える。日米戦争の終盤では日本の激
しい抵抗が予想され、長期戦となり、アメリカ軍の将兵の死傷者はうなぎのぼりに増えるが、日
本が完全に疲弊して講和を求めてくるまで、「仮借なき包囲」を続ける!」

⑧ 1936オレンジ計画(F・ルーズベルト:1933年第32代大統領に就任)
 13年間、オレンジ計画は休眠状態。
・アメリカ海軍は、マリアナ諸島を攻略して飛行場を設営し制空権を確立すれば、「フィリピ
 ン海の制空権」を支配し、日本とフィリピンの連携を破断し、太平洋諸島の日本軍を制圧す
 ることができる。パラオの日本軍拠点の陥落必至となる。
・アメリカ海軍は太平洋を、一歩一歩前進する飛び石作戦 ・必要な島々だけを「航空基地用」
 に占領。それ以外は放置して、枯れるにまかせる。
・マリアナ諸島のうち、「サイパン」こそ、日本の主抵抗線のなかでの最重要戦略目標と見極
 め、日本の防衛線を突破する決定的地点とした。

オレンジ計画への懐疑(1937~1940)
1937年(昭和12年)以降、アメリカ軍部内にオレンジ計画に否定的な主張が増大

<欧州方面司令官シムズ海軍大将>
日本征服を目的とする「オレンジ計画」は、アメリカが「偉大なる栄光の帝国」になることを目指
す「19世紀的な古典的帝国主義の遺物」にすぎず、アメリカの安全保障上、緊要な課題ではない。
アメリカの安全保障に最重要なのは、強力な帝国主義国家であるドイツやロシアとの戦争計画(
ブラック計画とパープル計画)だからである。
 

<アメリカ陸軍(陸軍参謀本部次長エンビック准将ら)>
「オレンジ計画」はアメリカの不幸を招く。その「極端な攻撃性」は、アメリカの安全保障と両
立せず、「アメリカ精神の真髄」に反する。 「一寸先は闇」というべき現状の国際情勢の下で
、何が何でも日本を征服するという「オレンジ計画」のような融通の利かない方針に固執するの
は賢明ではなく、「根拠のない馬鹿げた戦略」である。

< 合衆国艦隊司令長官兼太平洋艦隊司令長官リチャードソン海軍大将>
日本との外交による和解こそ、正しい解決の道である。 日本海軍を刺激して開戦に至るのを回
避すべく、太平洋艦隊を真珠湾から西海岸のサンディエゴへ戻すべきである。日本との戦争準
備も整わないのに、日本を挑発する大統領のやり方を、われわれアメリカ海軍上層部としては
信頼できない。
 

<1941.2.1付で合衆国艦隊司令長官兼太平洋艦隊司令長官リチャードソン海軍大将を解任、
 少将へ降格>
この解任人事は、F・ルーズベルトがこの時期(昭和16年1月)「対日戦争の実行を決断」し
たことを明瞭に示している。
  以上、鈴木荘一著「アメリカのオレンジ計画と大正天皇」かんき出版による。  

対日戦争(大東亜戦争)の目的
・日本占領はアメリカの戦争目的の一つだった。・・・日本を懲罰し、拘束して、「野蛮な日
 本人の戦争好きの性根を叩き直し、金輪際、戦争をできないようにする。
・「世界征服に異常な執念を燃やす日本のような国は、日本のなかに押し込めておかなければ
 ならない。」サム・レイバーン下院議員(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」18頁)
 
日本の犯罪とアメリカによる挑発
  私たちが罰する日本の犯罪とは何か。簡単に言えば、私たちの告発理由は「殺人」である。
「世界征服」の一段階として、アメリカに対し「一方的かつ計画的な攻撃」を仕掛けたという
パールハーバーの定義が告発の基礎なのだ。アメリカの最後通告では、日本の指導部は「日本
国民を欺き、世界征服の誤った道を歩ませた」という表現が使われている。
 日本はこの起訴事実に対し「無罪」を主張する。世界を征服することも、あるいはアメリカ
を征服することも、全く企図していなかったし、望んだこともない、満州あるいは中国の征服さ
えも考えたことはない、と罪状を否認する。そして検察側の私たちが「一方的かつ計画的な攻撃
」と呼ぶ行動は、あくまで「自国の安全保障」のためであったと主張する。もちろん、殺人を犯
したことは認めているが、それは計画的な殺人ではなく、あくまで「正当防衛」だったというの
だ。
 初めて被告の弁論を聴くアメリカ人は、極めて不愉快な思いをするだろうが、彼らの言い分を
根拠のない出鱈目な反論と決めつける前に、双方の証拠をもっとよく調べてみる必要がある。例
えば、アメリカが経済封鎖によってパールハーバーを挑発したという日本側の主張には、それな
りの根拠があるのだ。
私たちがイギリス、オランダと共同して行った対日経済封鎖は、アメリカ
の防衛とヨーロッパで戦うイギリスを支援するためだった。
東京裁判で日本側は、「封じ込め」
を逆非難し「正当防衛」を主張した。これには強力な裏付けがあったために、私たちはパールハーバーを中心訴因から外し、「少なくとも、いわゆる満州事変の発生時の1931年から日本が企てていた「世界征服の陰謀」まで訴因を拡大せざるを得なくなった。(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」23頁)
パールハーバーは先制攻撃ではなく、反撃
 パールハーバーはアメリカ合衆国の征服を企んで仕掛けられた「一方的攻撃」であるというが
、この論理では日本を公正に罰することはできない。
なぜなら、私たちの公式記録が、「パール
ハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だった」という事実を明らかにしている
からだ。

パールハーバーは青天の霹靂ではなく、しかるべき原因があって起きたのだ。原因は、1941年7
月25日に、アメリカ、イギリス、オランダが打ち出した「凍結」令である。三国は、自国領内に
ある日本の全資産を凍結し、貿易、金融関係をすべて断絶した。日本は、輸入必需品の80%を凍
結地域に頼っていたから、三国の行動は、日中戦争の泥沼化だけではなく、国内経済の窒息を意
味するものだった。(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」27頁)
 
日本占領の目的
  わかりやすくいえば、占領は国際的規模でみる刑事と泥棒の関係である。日本の全国民と文
明全体が盗みと殺人をほしいままにしてきたギャングなのだ。アメリカは、法と秩序をあずかる
保安官としてギャングを殴りつけ、押さえつけ、逮捕し、一文無しになるまで罰金を科し、重労
働つき不定期刑で刑務所に送り込んだ。刑務所は厳格だが、人道的に運営されているという。こ
こでの生活は厳しいが、故意にそうしているのではない。服役者がおとなしく命令に従い、看守
の言いつけを守るなら、ひどい扱いは受けないだろう。そして、服役者の「凶暴な性格」が完全
に矯正されれば、釈放されて社会に復帰することもできる、というのだ。(ヘレン・ミアーズ著
「アメリカの鏡・日本」20頁)
占領政策は、日本国民と文明の抑圧であることがよくわかる。この計画は、戦争の合法的行為。
すなわち賠償行為の常識をはるかに超えた、圧倒的スケールの「懲罰」と「拘束」である。                     (ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」21頁)
 
作られた日本という脅威―日本の潜在的能力
 日本占領はアメリカの自衛上必要な軍事作戦だったと言う。しかし、果たしてそうだろうか?
ドイツと違って、日本の指導部は本土進攻を前にして無条件で降伏し、最高に厳しい要求を受け
入れた。スチムソン元陸軍長官は、「日本はアメリカ人だけでも百万人を殺傷できる力を残しな
がら降伏した」という。それなら、なぜ日本は降伏したのか。世界で「最も軍国主義的国家」で
あり、「ファナティックな好戦的民族」がなぜ武器を置いて占領を受け入れ、精一杯友好的な顔
をして征服者に協力しているのか。公式説明は、原子爆弾が彼らを震え上がらせ、野蛮な根性を
叩き潰したからだという。しかし、もっと証拠に近寄ってみれば、そうはならない。
日本民族は
好戦的ではなかった。日本の戦争機関は、占領や原爆投下のずっと前に完敗していたのだ。

(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」35頁)
 
日本はいつ敗れたか
  1944年5月14日付のニューヨークタイムズの見出しは、アメリカが太平洋の制海権を握った
ことを伝えていた。
1944年8月までに、戦闘はほとんど終わり、あとは「掃討作戦」を残すだ
けとなった。(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」44頁)
一般市民相手の戦争
 日本の攻撃力の壊滅がはっきりしているにもかかわらず、アメリカは1945年3月、東京に対
して焼夷弾の絨毯爆撃を開始した。・・・
3月の東京爆撃以後、米軍は、日本軍相手ではなく、主に一般市民を相手に戦争をしていた。・・  アメリカ国民は何の抗議もせずに、すんなり大爆撃を受け入れた。この爆撃でも、その後の
64都市に対する焼夷弾爆撃でも、都市全域が目標だった。ローレンス記者(NYタイムズ軍事専
門)が伝えるところによれば、この焦土作戦によって「日本工業地域158万平方マイルが焼かれ
、推定850万人の市民が家を失うか、死亡した」のである。
(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」
 
硫黄島・沖縄の戦闘で失ったアメリカの戦死者は無駄死
 戦争中、私たちの政策決定者は、日本の戦争機関の力と国民の「戦争願望」の強さを驚くほど
過大評価していた。これは公式声明で明らかだが、アメリカの報道はほとんどこの事実に触れて
いない。日本人は
「ファナティックなまでに好戦的」であると信じ切っていたからだ。V・Jデー
後に明らかになったすべての事実にかかわらず、いまだにそう信じているようだ。ごく最近では
、ライフ誌が占領に関する記事で、日本人を「世界で最も軍国主義的国民」と呼んでいる。
 私たちは対日戦争で数万の兵士を失った。日本は相当数のアメリカの艦船を不能にし、相当数
のアメリカの飛行機を撃墜した。こんなことは今さら繰り返す必要はない。私たちが全部知って
いることだ。
私たちが知らないのは、その損害のかなりの部分が、日本の侵略手戦争機関が決定
的な敗北を喫した後に被ったものであるということだ。
 私たちは、最大の損害を出した戦場が硫黄島と沖縄であることを知っている。だから、この作
戦が実施された1945年春の時点で、日本は依然として大きな軍事的脅威だと信じていたのだ。
これは日本の侵略軍を壊滅させるための作戦ではなかったが、アメリカ人はそれを認めようとし
ない。なぜこの作戦が必要だったかといえば、私たちの政策決定者が日本本土占領の意思を固め
、日本を屈服させるには、本土上陸しかないと信じて(正確には信じていると言って)いたから
だ。私たちの政策決定者が日本の戦略と性格を正しく把握していなかったために、硫黄島と沖縄
で多くの米兵の命が失われたと言っていいだろう。(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本
」51頁)
 
近代戦における真の脅威とは?  
 私たちは日本人の「ファナティックな好戦的性格」を強調し過ぎてきた。だから、たとえ日本
人がその何倍もファナティックだったにせよ、私達とのいかなる戦争にも勝てるはずがなかった
という事実がぼかされているのだ。私たちは日本の
「軍国主義的性格」にこだわり過ぎたために
近代戦の勝利はほとんど、狂信的兵士ではなく工場労働者に負っているという事実が見えなく
なっている。
1944年1月末の時点で、アメリカの産業死亡者件数は、戦死者数を7500件上回っ
ている。兵士個々の英雄的行為と苦難は、敵味方いずれの側であれ軽んじるつもりはない。しか
し、軍事力が高度に機械化された今日の世界では、工業生産力を無視して「世界の脅威」を正し
く論議することはできないのだ。(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」70頁)
日本の工業生産力
 鉄鋼生産だけをとってみても、十分状況がわかる。鉄はいかなる軍計画にとっても筋肉であり
骨である。1939年、アメリカは
5250万トンの鉄を生産していた。生産はさらに増大し、1942
年には
8800万トンに達した。これはドイツ占領下のヨーロッパも含む枢軸国全体の推定生産量
を上回る数字である。
 日本の生産量は「世界征服」に乗り出した年の1934年で
333万4000トンである。大戦中の1943年に。780万トンまでもっていくが、これをピークとして1944年に
590万トンまで落ち込んでいる。この間、基本原料の保有量と海上輸送圏は著しく縮小され、
戦争終結時の鉄鋼生産量は
150万トンになっていた。ちなみに1946年は32万トン生産したに過
ぎない。
 
アメリカと諸外国の生産能力を数字の上で比較するにつけ、なぜ私たちが日本を怖れてきたか
、わからなくなるのだ。アメリカは精神鑑定が必要かもしれない。
(ヘレン・ミアーズ著「アメ
リカの鏡・日本」76頁)
 
日本の降伏意思・降伏の打診
 日本政府は少なくとも1945年5月に降伏の打診をしているが、この打診は米政府によって公
式に無視、あるいは拒否
された。事実、1944年の早い段階から、日本政府の内部では完全敗北
と見なしうる条件の受け入れが真剣に検討されていたのだ。  米戦略爆撃調査は、1946年7月
、トルーマン大統領に「日本の戦争終結努力」と題する報告を提出した。日本指導部との面接調
査を基にしたこの報告は、単なる流言とされていた
降伏の打診が、かなり早い時点からしばしば
行われていたことを確認している。

 同報告によれば、19944年2月には日本指導部の多くが、この戦争には勝てないと判断し、妥
協による和平努力を主張している。しかもこの「妥協による和平」は、日本の戦前の地位を引き
上げようというものではなかった。むしろ、高木惣吉海軍少将は、日本は朝鮮と台湾の放棄を前
提にして交渉すべきであると主張していたのだ。・・・・・
 しかし私たちは和平支持派に反対勢力を説得する時間的余裕を与えなかった。 私たちはたっ
た11日間待っただけで、いきなり1発の原子爆弾を、そして2日後(ママ)にはさらにもう1発を
戦艦の上でもない、軍隊の上でもない、軍事施設の上でもない、頑迷な軍指導部の上でもな
い、二つの都市の約20万人の市民の上に投下
した。しかも、犠牲者の半数以上が女子供だった
。・・・
 同調査の総括報告によれば、原爆はポツダム宣言の受諾を「早める」よう「さらにせかせた」
だけだった。しかし、同報告は、原子爆弾が投下されなくとも、あるいはソ連が参戦しなくても
、また上陸作戦が計画ないし検討されなくても、日本は
1945年12月31日以前、「あらゆる可能
性を考えに入れても1945年11月1日までに」無条件降伏をしていただろう
という意見を付けて
いる。(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」86、92頁)
鳩山一郎の談話(朝日新聞20.9.15)
  “正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が、病院船爆撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否定することはできないであろう。極力、米人をして罹災地の惨状を視察させ、彼ら自身、彼らの行為に対する報償の念と復興の責任とを自覚させるようにすること、日本の独力では断じて復興の見通しのつかない事実を率直に披瀝し、日本の民主主義的復興、国際貿易加入が米国の利益、世界の福祉と相反しない事実を認識させることに重点を置き、あくまで彼(米国)をして、日本の復興に積極的協力を行うように力を尽くさなければならない。(句読点を入れ、一部現代文に修正)(江藤淳著「閉ざされた言語空間」P187)
「求めたい軍の釈明/“比島の暴行”発表へ国民の声」(朝日新聞20.9.17)
 (前略)第4の見解は、今日突如として、米軍がこれ(比島における日本軍の暴行)を発表するに至った真意はどこにあるのかということである。一部では、連合軍上陸以来、若干の暴行事件があり、これは新聞にも報道され、米軍側でも厳重取締りを約束し、最近次第に事件が減りつつあるが、暴行事件の報道と、日本軍の非行の発表とは、何らかの関係があるのではないかという疑問を洩らすむきもある。激烈な戦闘中における異常心理による暴虐と、今次の如き平和的進駐における暴行とは、同日に論ずべきではないが、日本軍の暴虐は比島における民心をつなぎ得なかった一原因であったとか、米国新聞記者によって指摘されている。この点は若干事情が異なるとはいえ、今日、日本における連合軍についてもあてはまることであり、日本が新たな平和への再出発にあたり、連合軍側があくまで人道に立って正しく行動してもらいたいと要望している。(句読点を入れ、一部現代文に修正)(江藤淳著「閉ざされた言語空間」P188)
「進駐米軍の暴行/世界の平和建設を妨げん」(東洋経済新報20.9.29)
  記者(主幹:石橋湛山か?)は読者に深くお詫びを申さねばならない。米国進駐軍の一部に、記者の予想に反して意外に不良の分子がおり、種々の暴行が演ぜられていることについてである。 連合国の軍隊側が要地を占領すべしと聞くや、それらの地方の住民は大動揺を起こした。進駐してくる軍隊がいかなる乱暴を働くかもしれぬと怖れたからである。地方官憲中にもまたその観念から、婦女子の退去、女学校の閉鎖等を命じた者がある。記者はこれを苦々しく思った。いわゆる本土決戦にて、戦場に敵兵が上陸してくる場合と違い、連合軍は、停戦の結果、平和的に進駐するのである。いわんや世界の監視もある。何の狼藉を働こう。しかるにこれを怖れるのは、かえってわが無知と道徳の標準の低さを示すことに過ぎない。慎まなければならない。これが記者の信念であり、よって記者は左様に本誌に記した。しかるに遺憾ながら、記者の右の信念は、事実によって部分的にせよ裏切られた。よって記者がその不見識を非難した地方官憲等の判断がかえって正しかったことを証明した。記者が深く読者に謝罪するゆえんである。
(中略)最近、米国ではしきりにわが軍隊が出征先において乱暴を働いたと非難し、あるいは捕虜虐待等を問題にし、いわゆる戦争犯罪としてこれを処罰すべきだと称している。記者は、日本の軍隊が出征地において行ったと伝えられるところのものについては、天魔が彼らに巣くったかと申し訳なく思う。もし真実ならそれらの犯罪者は日本人自身において厳罰に処すべきだ。しかし今、米軍がわが国において行っているところとこれを対照するものは、例え程度の差があるにしても、道徳的に批判すれば、畢竟五十歩と百歩との相違に過ぎないというかもしれない。しからばこの点についての米国の非難は、いわゆる目糞鼻糞を笑うの類に過ぎないといえるものであり、我々はいかようにも反論できる。いわんや米国の与国たるソ連がまた行っていると伝えられるところの惨憺たるにおいてをや。 もちろん記者はこのように言うことによって、いたずらに米軍を非難し、あるいは日本のための弁解を敢えてしようとするものではない。記者の深く懸念するのは、このようにして米軍が戦敗国民の信頼を失うことが、いかに将来の平和の建設に障害をきたすことである。米国はただにわが国の有形的武装解除を行うのみならず、また精神的武装解除を行うべきだと称している。彼らは日本に平和思想を植え付ける使命を果そうというのである。さもなくば、どうして彼らは他国民の精神にまで立ち入れようか。米国はかつて無謀な移民法の制定により、日本の平和主義者を打倒し、軍国主義の台頭を促した。今次の極東戦争はここにその遠因の一つが存在する。これは米人自身の認める見解だ。説に同国朝野の反省を希望するところである。(句読点を入れ、一部現代文に修正)(江藤淳著「閉ざされた言語空間」P190)

連合軍最高司令官官房指令(1945.9.27)
 「新聞と言論の自由に関する新措置の件」

1. 日本政府は新聞の自由並びに通信の自由に関する平時及び戦時の制限措置を即時停止すべき
 こと。
2. 今後新聞その他の刊行物、無線、国際電信電話、郵便、映画その他いっさいの文字及び音声
 に対する検閲については、最高司令官が特に承認した制限によってのみ取締られるものとす
 る。
3. 世論表現の一切の機関を置いている現行法令が撤廃されるまで、これら法令の施行は停止さ
 れるべきこと。
4. いかなる政策ないしは意見を表明しようとも、新聞、その発行者、または新聞社員に対して
 、日本政府は決して懲罰措置を講じてはならない。但し最高司令官が虚偽の報道もしくは公
 安を害する記事と認めたものはこの限りではない。社論社説に対する懲罰として出版許可を
 取り消し、最高司令官の許可なく逮捕し、罰金を賦課し、用紙配給を削減する等の政府の権
 限は、今後これを行使してはならない。
5. (略)
6. いかなる政府機関も今後新聞の販売頒布を禁止し、記事を差し止めることはできない。また
 一切の言論機関に対し外部から編集方針を強制するために直接間接の圧迫を加えてはならな
 い。
7. (略)

この「新聞と言論の自由に関する新措置の件」指令は、以後日本のジャーナリズム全体に深刻な影響を与えた。これによって新聞とその発行者および新聞社員は、いかなる政策ないしは意見を表明しようとも、決して日本政府から処罰されることがないという特権的地位を与えられたからである。「いかなる」という以上、その政策ないしは意見は、日本にどのような不名誉と不利益をもたらすものであってもよく、直接間接に日本という国家そのものの解体と消滅を志向するものであってもよい。
               (江藤淳「閉ざされた言語空間」P205文春文庫)
 新聞の発行を続け、出版活動を続けるというほかならぬそのことによって、被検閲者は好むと好まざるとにかかわらず、必然的に検閲者に接触せざるを得ない。そして、被検閲者は、検閲者に接触した瞬間に検閲の存在を秘匿する義務を課せられて、否応なく闇を成立させている価値観を共有させられてしまうのである。
               (江藤淳「閉ざされた言語空間」P221)

  「検閲」という近代的価値観における文明への反逆といえる地球次元の犯罪に対して、GHQと日本のジャーナリズムは共犯関係を秘するにいたったといえる。

『太平洋戦争史』前書(まえがき)(昭和20年12月8日連合軍司令部提供)
 日本の軍国主義が国民に対して犯した罪は枚挙に暇がないほどであるが、そのうち幾分かはすでに公表されているものの、その多くはいまだ白日の下に曝されておらず、時のたつに従って次々に動かすことのできない明瞭な資料によって発表されていくことになろう。  これらの戦争犯罪の主なものは軍国主義者の権力濫用、国民の自由剥奪、捕虜および非戦闘員に対する国際慣習を無視した政府並びに軍部の非道な取扱い等であるが、これらのうちなんといっても彼らの非道な行為のなかで最も重大な結果をもたらしたものは真実の隠蔽であろう。この真実の「管制」は、1925年(大正14年)治安維持法が議会を通過した瞬間に始まったものである。この法律が国民の言論圧迫を目的として、約20年にわたりますますその苛酷の度を増し、政治犯人がいかに非道な取扱いを受け、人権を蹂躙されたかはすでに世人のよく知るところである。  1930年(昭和5年)の初頭、日本の政治史は政治的陰謀、粛清、そしてそのころようやく台頭しつつあった軍閥の専制的政策に反対した政府の高官の暗殺によって一大転換期を劃したのであった。  1933年(昭和8年)から1936年(昭和11年)の間に、いわゆる「危険思想」の抱懐者、主張者、実行者という「嫌疑」で検挙されたものの数は5万9千を超えるに至った。荒木大将のもとでは思想取締中枢組織網が厳重な統率化に編成され、国民に対し、その指導者の言に盲従することに一切の批判を許さないことを教えることになった。この時期が軍国主義の上昇期であったことは重要な意義を持つものである。1936年(昭和11年)2月、2400名以上の陸軍軍人は叛乱を起こし、斉藤内府、高橋蔵相、渡辺教育総監を暗殺し、時の侍従長鈴木貫太郎大将に重傷を負わした。軍国主義者の支配力
が増大するに伴い、検閲の法規を強化し、言論の自由を剥奪するための新しい法律が制定された。そしてこの制度こそは、支那事変より連合国との戦争遂行中、継続された。  日米、日英戦争の初期においては、日本勝利は比較的国民の反駁を受けずに宣伝することができたが、戦局が進み、軍部の地位が次第に維持し得なくなってくるにつれて、当局の公表は全く真実から遠いものに変わっていった。日本が多くの戦線において敗退し、その海軍がもはや存在しなくなってからも、その真実の情勢は決して公表されなかった。最近においても、天皇御自身が仰せられている通り、日本が警告なしに真珠湾を攻撃したことは、陛下御自身の御意思ではなかったのだ。憲兵は、この情報が国民に知られることを極力防止したのだ。  連合国最高司令官は、1945年(昭和20年)10月5日、治安維持法の撤廃を命令し、新聞に対するこの制度を破壊する方法をとり、戦争に関する完全な情報を日本国民に与えるよう布告した。今や、日本国民が今次戦争の完全なる歴史を知ることは絶対に必要である。またなぜに
軍国主義によってかかる悲惨な目に遭わなければならないかを理解することができよう。これによってのみ日本国民は軍国主義的行為に反抗し、国際平和社会の一員としての国家を再建するための知識と気力を持ち得るのである。かかる観点から、米軍司令部当局は日本及び日本国民を今日の運命に導いた事件を取り扱った特別記事を提供するものである。
(句読点を追加し、一部現代文に修正)
 
軍国主義とは
要件
 ① 軍事力を国家戦略的に重視し、政治体制・戦略・財政・経済体制・社会構造などの総合的
  な国力を軍事力の増強のため集中的に投入する国家の体制や思想。
 ② 国際紛争の問題の解決に当たっては、対話や交渉より軍事力の行使を重視。また国際社会
  における協調主義や国際取極めに基づく平和主義を無視。
 ③ 軍人や軍部が政権の中枢を占め、文民統制が不十分な体制・機構であること。
● 特徴
 ① さまざまな国力が軍事力の造成のために投入されるため、国民や各種の組織が軍事的な目
  的で動員され、その目的のためにしばしば人権や思想の自由などが侵害される。
 ② 独裁政治や全体主義、またはその両者を融合した制度を保有。
 ③ 言論、思想、良心、信教、表現の自由など基本的人権が制限される。
 ④ 参政権は形式的に保障されても秘密投票権が認められない。
 ⑤ 裁判の自由と司法権の独立は形式的。強圧的な運用しかされず、政府当局の意志を裁判所
  がほぼ代弁する形。裁判の基礎となる法律自体が極めて恣意的・非民主的。
*戦時体制との比較 戦争という非常事態においては、戦争遂行上必要となる軍需・生活物資の
 集中的な生産・投入や、予備役や民間防衛などを目的とした人員の動員、敵対する情報機関
 による諜報活動を妨害・阻止するための各種行動制限や情報統制などが最優先とされるため
 、軍国主義に類似した国家行動がとられるが、あくまで憲法等の規定によって、非常事態期
 間に限定された政府等の権限に基づくものであり、軍国主義とは峻別される

東京裁判における東条英機の最終陳述
  終りに臨み―恐らくこれが当法廷の規則の上において許される最後の機会であろうが―私はここに重ねて申し上げる。日本帝国の国策ないしは当年合法にその地位に在った官吏の採った方針は、侵略でもなく、搾取でもなかった。一歩は一歩より進み、また適法に選ばれた各内閣はそれぞれ相承けて、憲法及び法律に定められた手続きに従い、事を処理していったが、遂にわが国は彼の冷厳なる現実に逢着したのである。当年国家の運命を商量較計するの責任を負荷した我々としては、国家自衛のために立つということがただ一つ残された途であった。我々は国家の運命を賭した。しかして敗れた。しかして眼前に見るがごとき事態を惹起したのである。
 戦争が国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任如何との問題とは、明白に分別のできる二つの異なった問題である。  第一の問題は、外国との問題であり、かつ、法律的性質の問題である。私は、最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張する。私は、未だかつてわが国が本戦争をなしたことをもって、国際犯罪なりとして勝者より訴追せられ、また敗戦国の適法なる官吏たりし者が、個人的の国際法上の犯人なり、また条約の違反者なりとして糾弾せられるとは考えた事とてない。
 第二の問題、すなわち敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任である。この意味における責任は、私はこれを受諾するのみならず、衷心より進んでこれを負荷せんことを希望するものである。
キーナン首席検事の反対尋問  

「もし米国が乙案の条件を受け入れたならば、真珠湾攻撃に始まった開戦はなかったろうか」
(東条)
「乙案をきいていただければもちろん起こりません。その半分でもきいていただければ起こらなかったでしょう。・・・もし米国が太平洋の平和ということを真に望んでおりますならば。」
【乙案】(1941年11月20日)
1. 日米は仏印以外の東南アジア及び太平洋諸地域に武力進出を行わない
2. 日本は日中和平成立又は太平洋地域の公正な平和確立後、仏印から撤兵。本協定成立後、日
 本は南部仏印駐留の兵力を北部仏印に移動させる用意があることを宣す
3. 日米は蘭印(≒現在のインドネシア全域)において必要資源を得られるよう協力する
4. 日米は通商関係を資産凍結前に復帰する。米は所要の石油を日本に供給する
5. 米は日中両国の和平に関する努力に支障を与えるような行動を慎む

まとめ(オレンジ計画と大東亜戦争そしてGHQ占領計画は一貫している)
究極の敵は味方、その同盟国の国民性、戦略に対して、いかに対処すべきか?
当面の敵は、支那(中華人民共和国という市場経済型の全体主義・共産主義の非先進国・超大
  国)の脅威に如何に対処すべきか?

厄介な同盟国と厄介な隣人に囲まれて、日本の行く末は?皆さんはどう思いますか?  








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