本文へスキップ

 次代を担う大切な子ども達のために

活 動 報 告report

 靖国神社参拝問題に関して                    平成26年2月16日 作成 五月女菊夫




 以下の文章は、戦後57年目を迎えた2002(平成14)年に、勤め先の高校生に配った(と思われる)当時の個人的な考えです。
 今回の総理の靖国神社参拝に関連してお読みいただければと思います。
 

 
            57年目の夏を迎えて

 過日のの大戦により、人が殺され、家が焼かれ、国が荒れ果てたから戦争はもうこりごりだ、永久に放棄しよう、という気分が
昭和20年8月15日以降大きな流れとしてあります。
 その流れの中で戦後の平和教育は、私も含めた戦後世代の人たちに、戦争の悲惨さ、愚かしさを教え伝えることにほぼ成功して
きました。
 しかし戦場で亡くなった戦士の霊が合祀されている靖国神社については、一般にそれほど関心を向けられずに今日まで来たのでは
ないかという気がします。よく考えてみれば、同胞の霊を祀る行為は、いわば戦争で殉職した自分の先祖の墓参りのようなものでは
ないでしょうか。そしてその行為は、この国に生まれ育ったあるいはこれから生まれ育ってくる人間が戦争の犠牲者に対して示す、
同胞としての弔いの気持ちの表現として捉えられないものでしょうか。靖国神社を一度は訪れ戦争の犠牲者についてあれこれ思いを
巡らすことは、「民族」[正義」[戦争」[平和」[自由」という、人類が大昔から越えられないでいる壁や解決できないでいる難問の
存在に、若いうちから目を向けていくことになると思うのです。このことは必要かつ大切なことだと思うのですがいかがでしょうか。

この意見に対して反論が予想されます。
 第1に「靖国神社は東京裁判によるA・B・C級戦犯が合祀されているのだから、訪れるにはふさわしくない」という声が当然出
るでしょうね。でも「A・B・C級戦犯」という呼称は、当時の連合軍が恣意的に定めたにすぎません。そしてあの東京裁判自体、
私が映画や本などで知った限りでは、公平さを著しく欠いた中で行われた[裁判」だったというのが私の印象です。あれは(適切な言
葉かどうかわかりませんが)「私刑(リンチ)」という表現が当たっているのではないかと思うほどです。
 いわゆる「A・B・C級戦犯」を合祀した経緯は、私の知った限りでは次のとおりです。少し長くなりますが以下に述べておきま
す。
 
〔いわゆる「A・B・C級戦犯」合祀の経緯〕
 昭和27年4月に日本が独立を回復した直後、「戦犯の赦免勧告(シャメンカンコク=罪を許すよう勧めること)に関する意見書」
というものが、日本弁護士連合会から政府に渡されました。これがきっかけとなり、戦犯釈放運動が全国的に広がったといいます。
そして政府は、まずB・C級戦犯の赦免勧告を、さらにA級を含む全戦犯の赦免・減刑を、関係各国に対して要請しました。という
のはサンフランシスコ講和条約〔=日本が独立を回復した昭和27年に連合国と日本の間で締結された)第11条には、「戦犯の赦免、
減刑に関しては関係各国の同意を得なければならない」という主旨が述べられているからです。ついで衆議院、参議院がそれぞれ戦
犯赦免に関する決議案を圧倒的多数で可決しました(労農党のみ反対)。そして関係各国の同意を得て、A級は昭和31年3月31日ま
でに、B・C級は33年5月30日までに全員出所したということです。
 また戦犯釈放運動と呼応して、戦争裁判の受刑者の留守家族や遺族に対する援護が国会で取り上げられ、結果的には一般戦没者と
同じように遺族年金および弔慰金が支給されることになりました。
 他方、占領が解除されるとすぐ、遺族の強い要望を受けて、厚生省(現厚生労働省)引揚援護局長により、都道府県に対し、靖国神
社の合祀事務に協力するよう指示が出されました(合祀予定者の選考基準は、戦前は陸海軍省が決定していましたが、戦後は靖国神
社が一宗教法人となったため引揚援護局が決定することになりました)。基準設定に当たって最も参照されたのは、「戦傷病者戦没
者遺族等援護法(および恩給法)」の原薄です。つまり、原則として同法の適用を受ける死亡者が選考の対象として考えられたので
す。そして合祀予定者の範囲は、国家総動員法による被徴用者、警防団員、国民義勇隊員、徴用された船舶の船員など次第に拡大し
ていき、ついに戦争裁判受刑者もこれに加えられることになりました。かくして昭和34年春季に合祀された戦争裁判受刑者353人、
秋季に合祀された者472人、その後39年、41年、42年、48年と合祀が続けられ、53年10月17日のA級14人をもって完了したとい
うことです。
 
 第2に「中国、韓国の対日感情に配慮しろ」という意見も出るでしょう。しかし民族の犠牲者を弔うのはどこの国でも行っている
でしょうし、また行なっていいことだと思います。偏狭な民族主義は論外ですが、戦争で死んでいった同胞を丁重に弔うことは、英
霊の美化とか軍国主義復活とは関係の無い自然な行為ではないでしょうか。
 いつだったか相当前の首相が靖国神社を公式参拝しました。しかし翌年には取り止めました。理由は確か中国、韓国から批判が出
たためだったと記憶しています。この純然たる日本国内の問題に対して、近隣諸国からの批判一つであまりにも簡単に態度を変えて
しまった首相の日和見さには、当時たいへん腹が立ちまた情けなく思いました。遺族の方たちにもたいへん失礼だったと思います。
日本の首相が諸外国に歴訪したときに、よく現地の戦没者の墓に花を手向けるシーンをテレビで見たりその記事を新聞で読んだりし
ます。国際儀礼上、認められている行為です。にもかかわらず国内で同様のことを実行しようとすると内外から非難がおきる、そし
て取り止める・・・何とも不思議な現象だと思います。
 
 どの国の歴史にも光と影の部分があります。光の部分は誇らしく思う一方、影の部分は恥ずかしく思うものです。影の部分はなか
ったらいいのにと思っても不思議ではありません。しかし事実であればそれを直視し受けとめる他ありません。ただ直視するあまり、影の部分だけをことさら強調するというのはいかがなものでしょうか。自国の影の部分だけは執拗に見せつけられ、反対に光輝く部
分はあまり触れられない、一方他国の影の部分については曖昧なまま、光の部分を主に教えこまれる・・・このような環境で育って
いくと、他国の歴史は必要以上に崇め奉り、自国の歴史には誇りを持たなくなる、さらに自国に対して蔑みの感情を持ち、劣等感を
抱き、虚無的な視線を投げかけるというイビツな世界観を持つようにならないでしょうか。こんな国に生まれてこなければよかった、他の国に生まれていたら経済的には不自由でも自信を持って堂々と生活していけたのに…、このように屈折した気持ちが、将来この
国を受け継いでいく若い人たちの心の中に刷り込まれている風潮は無いでしょうか。
国家という言葉に反発を覚えてしまう方もいるでしょうが、健全な国家意識(英語にパトリオティズム patriotismという言葉がある。ナショナリズ nationalismに比べて健全な語感がある)を育んでいく必要はあると私は思うのですが、皆さんはいかが思われるでし
ょうか。
 

靖國神社の起源
 靖国神社の起源は明治2年(1869)6月29日に建てられた東京招魂社に遡りますが、当時の日本は、近代的統一国家として大きく生
まれ変わろうとする歴史的大変革(明治維新)の過程にありました。それ以前、日本は徳川幕府の政権下にあり、約250年にわたっ
て鎖国政策をとり海外との交流を厳しく制限していました。ところが、アメリカや西欧諸国のアジア進出に伴って日本に対する開国
要求が強まると、開国派と鎖国派の対立が激化し、日本の国内は大きな混乱に陥ります。そうした危機的状況を乗り切る力を失った
徳川幕府は、ついに政権を天皇に返上し、日本は新たに天皇を中心とする近代的な国づくりに向けて歩みだすこととなったのです。
 しかし、そうした大変革は、一方において国内に避けることのできない不幸な戦い(戊辰戦争)を生み、近代国家建設のために尽力
した多くの同士の尊い命が失われる結果となりました。そこで明治天皇は明治2年6月、国家のために一命を捧げられたこれらの人々
の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために、東京九段のこの地に「招魂社」を創建したのです。この招魂社が今日の靖国神社の前
身で、明治12年(1879)6月4日には社号が「靖国神社」と改められ別格官幣社に列せられました。
 
 
靖國神社の御祭神
 靖国神社には、戊辰戦争やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の
大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内と
いった歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世
界大戦)などの対外事変や戦争に際して国家防衛のためになくなられた方々の神霊が祀られており、その数は246万6千余柱に及びま
す。
 靖国神社に祀られているのは軍人ばかりでなく、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡く
なられた学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身
者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々などの神霊も祀られてい
ます。
 このように多くの方々の神霊が、身分・勲功・男女の差別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として一律平等に祀ら
れているのは、靖国神社の目的が唯一、「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰すること」にあるからです。つまり、靖国
神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点におい
て共通しているのです。
 

靖國神社と日本人
 我が国には今も、死者の御霊を神として祀り崇敬の対象とする文化・伝統が残されています。日本人は昔から、死者の御霊はこの
国土に永遠に留まり、子孫を見守ってくれると信じてきました。今も日本の家庭で祖先の御霊が「家族の守り神」として大切にされ
ているのは、こうした伝統的な考えが神道の信仰とともに日本人に受け継がれているからです。そして同様に、日本人は家庭という
共同体に限らず、地域社会や国家という共同体にとって大切な働きをした死者の御霊を、地域社会や国家の守り神(神霊)と考え大
切にしてきました。靖国神社や全国にある護国神社は、そうした日本固有の文化実例の一つということができるでしょう。