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 次代を担う大切な子ども達のために

活 動 報 告report

                            平成28年12月18日 作成 五月女 菊夫


わが国戦後の安全保障 

―戦後日本人は我が国の防衛について何を学んできたか?―

Ⅰ はじめに

 1 中学校教科書が教える日本の防衛

 2 戦争と軍事力の本質

Ⅱ 冷戦時代の防衛構想

 1 国防の基本方針

 2 防衛力整備計画

 3 基盤的防衛力整備構想

Ⅲ 冷戦後の防衛構想

 1 日米同盟の再定義

 2 国家安全保障戦略の策定

 3 真の脅威

Ⅳ 安保法制と集団的自衛権

 1 平和安全法制

 2 集団的自衛権の一部容認

 3 武器の使用制限

Ⅴ まとめ


Ⅰ はじめに

1 中学校教科書が教える日本の防衛
日本の安全保障について中学生たちはどのように学んでいるのでしょうか。これについては主に公民の教科書で学びます。

東京書籍日本は、第二次世界大戦で他の国々に重大な損害を与え、自らも大きな被害を受けました。そこで、日本国憲法は、戦争を放棄して世界の恒久平和 のために努力するという平和主義を掲げました。憲法第9条は、戦争を放棄し、戦力を持たず、交戦権を認めないと定めています。

日本は国を防衛するために自衛隊を持っています。自衛隊と憲法第9条の関係について、政府は、主権国家には自衛権があり「自衛のための必要最小限度の実力」を持つことは禁止していないと説明しています。一方で、自衛隊は憲法第9条の考え方に反しているのでないかという意見もあります。 2015(平成27)年には、日本と密接な関係にある国が攻撃を受け、日本の存立がおびやかされた場合に、集団的自衛権が行使できるとする法改正が行われました。これに対して、憲法第9条で認められる自衛の範囲をこえているという反対意見もあります。

日本は防衛のために、アメリカと日米安全保障条約(日米安保条約)を結んでいます。この条約は、他国が日本の領域を攻撃してきたときに、日本とアメリカが共同で対応することを約束しています。そのため、日本はアメリカ軍が日本の領域内に駐留することを認めており、沖縄をはじめ、各地にアメリカ軍基地が設置されています。 )

(東書公民P42) 第二次世界大戦後の日本の外交は、平和主義と国際貢献を重視してきました。日本は、日本国憲法の前文と第9条で平和主義の立場を明確にしています。また、世界の平和を確かなものとするために、国連の活動を支援する国連中心主義をとっています。そして、広島と長崎への原子爆弾投下という悲劇を経験した唯一の被爆国として、非核三原則をかかげ、核兵器の廃絶を訴えています。(以下略)

戦後の日本外交の中心の一つは、アメリカとの関係です。現在の国際社会において、日米安保条約に基づく日米同盟は、日本とアメリカのためだけでなく、アジアをはじめとする世界の安定にも影響します。このような状況の中で、沖縄の在日アメリカ軍基地の問題などをじょじょに解決しようとしています。

東アジアや東南アジアの国々との関係も重要です。日本は、経済や文化などの他方面で関係の強化に努めています。その際、過去の戦争で大きな被害とたえがたい苦しみを与えたことを忘れてはなりません。特に中国と韓国の関係では、隣国として相互理解に努め、たがいの発展と繁栄を図る努力が必要です。(以下領土問題につき略)(東書公民P194)

帝国書院日本国憲法は、前文において、再び戦争の惨禍が起ることがないようにすることの決意を明確にしています。そして、第9条で戦争を放棄し、戦力を保持しないことや、国が戦争を行う権利を認めないことなどを定め、平和主義を宣言しています。日本は平和主義のもと、第二次世界大戦後も一度も戦争にまきこまれることなく、平和を守ってきました。

現在ではコスタリカをはじめいくつかの国の憲法でも、戦争放棄の規定が設けられています。そのなかでも日本の平和主義は、戦争の放棄や戦力の不保持、交戦権の否認を徹底して定めています。 戦争は最大の人権侵害の場ともいわれていますが、世界各地で第二次世界大戦後も戦争が続いています。

核兵器のように人類を滅亡させる可能性のある兵器も存在しており、軍備の縮小を進めて世界平和を追求する方法として、平和主義は現実的な選択になっています。唯一の被爆国である日本は、核兵器を「もたず、つくらず、もちこませず」という非核三原則をかかげ、世界の核兵器廃絶に向けて取り組んでいます。

私たち一人ひとりが夢を実現できる平和な社会を築いていくためには、平和主義を広めることが必要です。そのためには積極的な外交が重要であり、国家間で軍縮を進め、国際平和を実現できるしくみを強化することが求められます。(帝国公民P40)

自衛隊は、1950(昭和25)年の朝鮮戦争をきっかけに連合国総司令部(GHQ)の指示でつくられた警察予備隊を前身として、日本の安全を保つことを任務として発足し、冷戦時代を通して人員や装備を増強してきました。自衛隊が憲法第9条や平和主義に反するのではないかという議論もありますが、政府は、自衛のための必要最小限の実力組織に過ぎない自衛隊は戦力にはあたらず、戦争放棄といっても自衛権まで放棄したわけではないので憲法違反ではない、としています。

日本の防衛費は、平和主義をとっていることで他国の軍事費に比べ国内総生産(GNP)や予算に占める割合が低く、そのおかげで戦後に驚異的な経済発展を実現できたという一面があります。しかし、防衛費の総額では世界有数の規模になっています。(帝国公民P41)

日本の外交の原則  国際平和を実現するために、日本はどのような役割を果せば良いのでしょうか。第二次世界大戦の悲惨な経験から学んで、戦後の日本では軍事力にたよるのではなく、国際協力によって信頼できる国際関係をつくっていこうという考えが強くなりました。日本は外交において、世界各国との合意を大切にする多国間協力と、国連による決定を重視する国連重視、武力にたよらない貢献をめざす非軍事協力という、三つの原則をかかげています。

唯一の被爆国
としての立場 
 1945年8月、広島と長崎に原爆が投下され、数多くの尊い命が失われました。このような経験をくり返さないよう、唯一の被爆国として、日本は核兵器を世界からなくす呼びかけを続けてきました。

日米安全保障条約  日本は、非核三原則をかかげ、核を持たない立場を明らかにしてきました。(以下略)

 日本は、1951年にアメリカと日米安全保障条約を結びました。この条約は、日本がほかの国から攻撃された場合に、アメリカと日本が共同して日本を防衛することを定めています。そのため日本は、日本とその周辺において、日本の法律の範囲でアメリカ軍と協力することと、日本の国土にアメリカ軍が駐留することを認めています。

 日米安全保障条約と、それによる日本の防衛のしくみは、冷戦の時代に生まれました。しかし今では、戦争の形も変わり、世界各地で紛争が頻発しています。日米両国間の防衛協力のあり方についても、その適用される範囲や、日本の集団的自衛権のあり方などについて、さまざまに議論されています。(帝国公民P181)

以上が本県内の殆どの中学校で使われている東京書籍(鹿沼、芳賀、栃木、小山、下野、塩谷南那須、那須塩原・那須町、佐野の9採択区)と帝国書院(河内、日光、足利の3採択区)の公民教科書における我が国の安全保障に関する記述の全てです。

 これらの教科書で学んだ中学生たちは、わが国の安全保障についてどのような考え方を持つでしょうか?

*正岡注:コスタリカは、中南米の人口500万人弱の小国家で、永久非武装中立を宣言しているが、米州機構と集団安全保障条約を結び、集団的自衛権も行使するものとし、有事には徴兵して武装することを定め、実質的に陸軍に相当する警察力が充実している。

 これに対して、自由社の記述がどのようなものか見てみますが、他社とは比較にならないほど詳しく説明されています。

自由社自衛権と
平和主義
いかなる国家も、国民の安全と生存を外部からの侵害から守る権利(自衛権)をもつことが認められており、各国は自衛のために軍事力を保有しています。しかし、第二次世界大戦に敗れたわが国は、連合軍による占領のもとで軍隊が解体されました。占領下につくられた日本国憲法は、前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言し、平和主義の理想を打ち出しています。しかし、軍事力を保有することなく我が国の安全を保持することが可能かについては、長らく議論がなされてきました。

1946(昭和21)年、最高司令官マッカーサーは、連合軍のスタッフに日本国憲法の作成を指令したさい、「戦争を、国際紛争を解決する手段としてのみならず、自衛のためであっても放棄する」という原案を示しました。実際に成立した憲法は、第9条第1項で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定められており、マッカーサー原案の、自衛戦争をも放棄するという部分が消滅しています。第1項は、「国際紛争を解決する」ための戦争(侵略戦争)は行わないとする一方で、自衛のための戦争を行う権利、すなわち自衛権の保有については、特に定めがないのです。しかし、続く第2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と、戦力の不保持を規定しています。それでは第9条は、自衛権の保有を認めていないのでしょうか。(自由公民P72)

自衛隊 政府は、わが国は独立国である以上、憲法第9条の諸規定は、自衛権を否定するものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められるとして、1954年に陸海空自衛隊を発足させました。1957年に定めた国防の基本方針を受けて、専守防衛に徹し、軍事大国にならないという基本理念に従い、日米安全保障条約を堅持し、文民統制を確保して節度ある防衛力を整備しています。

 しかし、世界的にも有数の実力を備えた自衛隊を「戦力に至らない」とする政府の憲法解釈には批判も多くあります。また、自衛隊は憲法違反であるから解散すべきだという主張もあります。しかし逆に、憲法改正を行って自衛権の保有を明確にするとともに、自衛隊をわが国の軍隊として位置づけるべきだという主張もあります。(自由公民P73)

もっと
知りたい

わが国の安全保障の課題

国家の主権と国民生活の幸福を保ち、また国際社会の平和維持に貢献していくために、わが国がとり組むべき安全保障の課題は、どのようなものだろうか。

憲法第9条には、大きく分けて、次のような4つの解釈がなされており、長らく議論されてきた。

第1の解釈 第1項は侵略戦争のみならず、自衛戦争も禁止している。第2項の戦力の不保持は、第1項の一切の戦争の禁止を確実にするための規定である。従って、自衛隊は憲法違反である

第2の解釈 第1項は侵略戦争を禁止しているが、自衛のための戦争は禁止していない。しかし、第2項で一切の戦力の保持を禁止しているので、自衛のためであれ戦力をもつことはできない。従って、自衛隊の存在は、この第9条第2項に違反している。

第3の解釈 第1項は侵略戦争を禁止しているが、自衛のための戦争は禁止していない。また、第2項は、侵略戦争の放棄という第1項の「目的を達するため」の戦力不保持の規定であり、自衛のための戦力の保持を禁止したわけではない。従って、自衛隊の存在は憲法に違反しない。

第4の解釈 条文の解釈は第2の解釈と同じように、自衛戦争は禁止していないが、戦力の保持は禁止していると解釈する。けれども、自衛隊は、第2項が禁止する「戦力」には至らない必要最小限度の防衛のための「実力」にすぎず、従って、自衛隊は憲法に違反しない。

第4の解釈が実は日本政府の解釈である。この解釈に対しては、言葉のうえの言いのがれの感が強く、現実に世界有数の能力をもつ自衛隊を「軍隊ではなく、戦力に至らない実力」と説明しても国際的には理解を得られない、という批判がある。

憲法第9条は、いったい何を禁止し、何を認めているのだろうか。国民が広く関心を持ち、議論していくことが求められている。

法制上は軍隊ではない

 自衛隊は、外国の軍隊のような法制上のしくみになっていない。
 警察の場合は、職務上取りうる行動は法律によって決められており、それ以外の行動を行うと法律違反となる。これをポジティブ・リスト方式(行ってよいことの列挙方式)という。

 これに対して、軍隊は、国家の生存をかけて武力発動するものであるから、武力発動のしかたについてあらかじめ制限を設けることはできないという考え方に立っている。ただし、戦争の被害の際限のない拡大を防ぐため、行ってはならない行動を国際法が列挙している。この方式がネガティブ・リスト方式(行ってはならないことの列挙方式)である。

 わが国の自衛隊は、憲法上で軍隊として位置づけられていないことから、警察と同様にポジティブ・リスト方式で運用されている。たとえば、外国の軍艦や工作船による我が国の領海侵犯に際して、軍事行動としてではなく、法律で定められた海上警備行動として対処している。

 また、PKO協力活動や人道復興支援などのために国際派遣される際には、活動できる地域が非戦闘地域に限られることに加えて、携行できる武器にも制限があり、しかも武器使用は正当防衛と緊急避難の場合に限られている。

 このような現状に対して、自衛隊が確実にわが国の主権を守り、国際平和維持に効果的に貢献するためには、自衛隊の法的地位を改めるべきだという議論がある。(自由公民P75)

安全保障のジレンマ 主権国家がそれぞれ国益を追求する国際社会では、深刻な対立の発生が避けられません。そこで各国は、自衛権に基づき、必要な国家予算を使って軍事力を整えるなどして国防に努力しています。軍事力は、他国の侵略意図をあらかじめおさえる抑止力や、国益を追求する外交交渉の手段としてはたらきます。

 しかし他方、ある国の軍事力の強化は、周辺諸国に重大な脅威として感じられ、相互不信と対立の原因ともなります。これを安全保障のジレンマといいます。軍事力は、安全を確保するうえで不可欠ですが、強すぎても弱すぎても問題を生むというむずかしい性質をもっています。自国の安全をはかり国益を追求することと、他国との良好で平和な関係を保つこととの両立は、簡単なことではありません。

国際平和への努力 このため各国は、周辺諸国と同程度の軍備を整えてたがいにバランスをとったり、軍備を公開しあって相互の信頼を高めたり、共同して安全保障体制を築いたりして、合意を形成しながら、自国の安全の確保と、国家間の平和維持との両立に努めてきました。

 そして今日では、各国は、国連による集団安全保障の考えを共通に受け入れ、自国の安全や国益だけではなく、国際平和を共同責任で創出する体制をとっています。

 特にグローバル化が進展した現代では、自国とは直接かかわりのない地域へも軍隊を派遣し、共同で問題解決にあたっています。

わが国の
安全保障
 わが国は国連を中心とする国際平和の増進に貢献しながら、自衛隊と、日米安全保障体制によって安全を確保しようとしています。

 我が国周辺には軍事大国が存在し、潜在的脅威となっています。冷戦終結後は、北朝鮮による拉致事件や核ミサイル開発、中国の軍備増強、国際テロなどの新たな脅威が出現し、防衛力の役割は増しています。また、わが国は資源の自給自足ができないため、世界の平和がわが国の存立と繁栄にとって不可欠です。このためわが国では、防衛力の整備とともに、諸外国との信頼をつちかい、世界平和の推進に努めることが、いっそう大切となっています。

わが国の
再軍備
第二次世界大戦に敗れたわが国は連合国軍に軍事占領されました。このとき連合国軍総司令部(GHQ)は、わが国の軍隊を解体し、非武装としました。しかし1950(昭和25)年の朝鮮戦争に際し、方針を変更し、警察予備隊の創設を日本政府に命じました。

自衛隊の
発足
 その後、1954年には自衛隊法が制定され、陸・海・空の自衛隊が発足しました。

自衛隊は、主な任務を我が国の防衛とし、治安維持や海上警備、災害時の人命救助などに出動するとされました。このとき同時に、防衛庁が設置されました。自衛隊の発足は、東西冷戦が厳しさを増すなか、わが国と東アジアの平和と安全を確保するうえで大きな意義をもちました。

自衛隊の
発展
再軍備
その後1957年には、「国防の基本方針」が定められ、自衛隊の活動は専守防衛が基本であるとされました。以来、防衛大綱に基づき防衛力の計画的な整備・増強がはかられてきました。

 その後、自衛隊には、1992(平成4)年の国際協力法(PKO法)で始められていた海外での国際平和協力活動が本来任務に付け加えられました。そして2007年には、防衛庁が防衛省に昇格し、防衛省・自衛隊体制となりました。これによって防衛大臣が直接、予算や閣議決定を求めることができるなど、国の政治に占める国防の地位が強化されました。この間、自衛隊は、国民の生命と財産を守る活動にも挺身し、これに対し多くの国民が共感と信頼を寄せています。

日米安保
条約
 日米安保体制(日米同盟)の柱である日米安全保障条約(日米安保条約)は、わが国の国防の要です。日米安保条約は、1951年に締結されました。そして1960年に改定され、わが国が攻撃を受けたとき、自衛隊とアメリカ軍との共同行動を約束した日米共同防衛と、わが国からアメリカ軍への基地貸与などが取り決められました。

 冷戦終結後、1996年に行われた日米首脳会議で、安保条約の適用範囲を日本国内から「アジア・太平洋地域」に拡大し、日米軍事協力をいっそう緊密にすることが合意されました。これに基づき、1999年には周辺事態法が成立しました。これにより自衛隊は、わが国への直接の武力攻撃のみならず、周辺地域で重大な脅威になると思われる事態にアメリカ軍と共同で対処するとともに、アメリカ軍の後方支援を行うこととなりました。

核開発競争と核軍縮第二次世界大戦末期の1945(昭和20)年、アメリカによって広島と長崎に原子爆弾が投下され、わが国は人類史上唯一の核被爆国となりました。これによって核兵器は、大量破壊兵器としてきわめて強力で、核戦争は人類全体を滅亡させることがわかりました。大戦後、旧ソ連とアメリカは核大国を目指して核兵器開発を競うようになりました。1960年頃には大陸間弾道弾などの核ミサイルが開発され、攻撃力が格段に増大するなか、フランス、中国も核保有国となりました。

 しかし、大気圏内核実験の危険性が明らかになり、1960年代には部分的核実験停止条約が結ばれました。核兵器の大量保有は米ソ相互の破滅になるとの認識から、核軍縮が進められました。1968年には、核兵器不拡散条約(NPT)が結ばれ、1996年には包括的核実験禁止条約(CTBT) が国連総会で採択されました。

 1980年代、西ドイツなどの西ヨーロッパ諸国はアメリカの核ミサイルを配備し、旧ソ連の核兵器配備に対抗しました。しかし、アメリカと旧ソ連は1987年、中距離核戦力全廃条約で、中距離弾道ミサイルなどをヨーロッパから撤去しました。また、2009年には核軍縮条約の締結を約束するなど、緊張緩和に向かっています。

核の国際的管理と拡散防止
再軍備
国際社会は現在、核兵器を国際的に管理する体制を築いています。(NPT体制)

その仕組みは、NPTで核兵器保有5カ国以外の核保有を禁じ、その核保有国間での核軍縮を促進しています。他方、核を平和利用する国には、国際原子力機関(IAEA)の査察を義務付け、核不拡散をはかります。これは5カ国が核兵器を独占する不平等な体制ですが、核管理能力のある国に世界の平和と安全の責任をもたせるものです。しかし、インドやパキスタンが核を保有したり、2006年にはイランで核兵器開発の疑いが表面化し、2009年には北朝鮮が2度目の地下核実験と長距離ミサイルの発射を強行したりと、核管理体制は揺らいでいます。わが国は、唯一の被爆国として非核三原則を宣言し、核廃絶を訴えています。しかし同時に、アメリカの「核の傘」のもとで安全が確保されているといわれています。

核廃絶と
核の脅威
 近隣諸国の核武装の強化はわが国にとって大変な脅威です。このような脅威に立ち向かいながら、わが国の政府は世界平和のために、核廃絶を訴えています。

 中学生に国の防衛・安全保障についてどのように教えるかは難しい問題です。歴史は小学校でも教えますが、公民的分野については小学校で殆ど学ぶことはありません。学習指導要領では公民的分野の教育目標を次のように定めています。

(1)個人の尊厳と人権の尊重の意義、特に自由・権利と責任・義務の関係を広い視野から正しく認識させ、民主主義に関する理解を深めるとともに、国民主権を担う公民として必要な基礎的教養を培う。

(2)民主政治の意義、国民の生活の向上と経済活動との関わり及び現代の社会生活などについて、個人と社会との係わりを中心に理解を深め、現代社会についての見方や考え方の基礎を養うとともに、社会の諸問題に着目させ、自ら考えようとする態度を育てる。

(3)国際的な相互依存関係の深まりの中で、世界平和の実現と人類の福祉の増大のために、各国が相互に主権を尊重し、各国民が協力し合うことが重要であることを認識させるとともに、自国を愛し、その平和と繁栄を図ることが大切であることを自覚させる。

(4)現代の社会的事象に対する関心を高め、様々な資料を適切に収集,選択して多面的・多角的に考察し、事実を正確にとらえ、公正に判断するとともに適切に表現する能力と態度を育てる。

歴史教育は中学校の第1学年から第3学年まで通して130単位時間行われ、公民は第3学年において100単位時間行うよう定められています。地理は第1学年から第2学年において歴史教育と並行しながら120単位時間行われ、第3学年になって地理的分野と歴史的分野の基礎の上に公民的分野の教育を行うようになっています。地理的素養、歴史的素養の上に公民に関する教育が行われるわけですから、公民的分野の教育は中学生たちが一人前の社会的人間となるための最終段階における学習の場であるとも言えます。

ですから日本国民の一員として我が国の安全がどのようにして守られているかを理解することはとても重要なことです。過去、なぜ、どのようにして戦争が起きたかは歴史教育において学び、現代において戦争を起こさないためにはどのようにしなければならないかを公民教育において学ぶということです。

東書及び帝国の教えるところは、「平和主義を守り広めること」によって我が国の安全が保たれるというほぼ一点を強調しているのみで、その他には自衛隊と日米安保が存在する事実を単に述べ、自衛隊が憲法や平和主義に反するのでないかと疑念を呈しています。自衛隊や日米安保が果たしてきた役割や意義については一行も割いていません。

 2 戦争と軍事力の本質

交通事故はなぜ起きるのか?その原因を究明しなければ事故を防止できないように、戦争はなぜ起きるのか?を理解しなければ、戦争を未然に防止することはできません。私たちはそれを歴史の中で学んできました。

 日清戦争の原因は何であったか。日本が軍事力を強化させ、朝鮮や支那を手に入れようと(侵略)して朝鮮半島へ進出したから或いは清が朝鮮を支配下に入れようとしたからといった単純な理由で考える限り、いつまでたっても戦争を防止する手立ては見つかりません。なぜなら戦争をなくすには他国へ軍事進出しようなどという人間の考えることを予めなくしてしまければならないということになりますが、それは神ならぬ人の及ばない領域だからです。今、金正恩、習近平、プーチンが考えていることを我々日本人が的確に推量できるでしょうか?

 李氏朝鮮の不安定・無力さが日清戦争の根本原因でした。所謂「力の空白」が、欧米列強が東アジアに触手を伸ばした19世紀末から20世紀初頭において、地政学的に緊要な朝鮮半島に生じていたからです。これは日露戦争にも通じます。朝鮮に加え支那特に満洲に「力の空白」が生じていたことが日露戦争の直接原因となりました。

仮に李氏朝鮮が19世紀中頃に醜い勢道政治(王の寵臣らが国政を壟断・私物化する朝鮮特有の政治形態)を止め、日本の如く近代化と富国強兵に国を挙げて取り組んでいたならば、或いは清朝がその故国である満洲を開発しロシアの南進を阻止できるほどの軍事力を駐留させていたならば、日清・日露戦争は絶対に起ることはなかったと断言できます。

『戦争論』の著者クラウゼビッツの言を俟つまでもなく、戦争は軍事力を以てする政治の継続です。その政治とは何かといえば、国益の追求です。国益とは、受け身的には領土・領域の保持、主権の維持であり、積極的には経済的利益の拡大、領土・領域の拡大、国際的発言力の強化などです。

第二次世界大戦以前の世界では、軍事力を以てする積極的な国益追求は、国際的に何の非難も受けませんでした。強者の国益追求だとして見過ごされていましたが、現代では受け身的な国益追求がかろうじて許される状況にあります。ただし、我が国だけは憲法第9条によってそれさえも厳しく制限されています。なぜなら、領土領域や主権が脅かされる事態には100%近い確率でその前段階である国際紛争が惹起されるわけであり、我が国の憲法は武力を以てする国際紛争の解決手段を永久に放棄しているからです。

領土帰属問題は典型的な国際紛争事例ですが、領土問題を武力によって解決してはならないわけですから、国際紛争に至っていない事態で武力行使しなければならないというおかしな理屈になっています。従って、日本政府は「尖閣には領土問題は存在しない」と言い続けなければなりません。これは竹島も北方領土も基本的には同じですが、この両者は相手国の占領状態にあり、同地に対して現実的な外国の公権力が及んでいるという点で尖閣とは大いに状況が違っています。外国の公権力が及んでいる以上、竹島と北方領土には領土帰属問題という国際紛争が既に存在しているということになり、これを武力でもって解決することは憲法違反になるということです。

戦争は政治の継続ですが、通常の政治とは比較ならないほど多くの人命と国家資産を消費します。1年の戦争で数十年間の国家予算を使ってしまうことも珍しいことではありません。ですから戦争によって政治的問題を解決するということほど非効率なことはありません。戦争は国益追求のためでありながら、戦争によって国益を大いに損ねてしまうということになります。それは全ての国にとって同じです。どこの国も戦争はしたくない、或いは楽に勝てそうにないと考えるからこそ、そこに抑止力が生まれます。楽して国益追求できるなら軍事力を行使してもいいが、大変な戦争になるのならやめておこうということになります。

戦争をしないで軍事力を行使するとはどういうことかといえば、所謂「武力による威嚇」がこれにあたります。日本国憲法は、紛争解決のために武力による威嚇を行うことも禁じています。ところが「武力による威嚇」とはいかなるものかについてもかなり幅があり、実際の軍事行動としては判別が難しいものです。相手国の沿岸に砲撃を加える「砲艦外交」というのがありますが、これは最高度の「武力による威嚇」であり、相手国の沿岸を軍艦で航行するだけでもこれに相当する場合があります。さらに言えば、艦隊による遠洋航海において相手国の港に投錨することも武力によって威嚇することになりかねません。

威嚇にも「攻撃的威嚇」と「防御的威嚇」があります。猫が犬に対して背を丸めて背中を高くし凄い形相で牙をむくのを見かけますが、これは明らかに「防御的威嚇」です。犬は決死で抵抗の意思を見せる猫を見て、これは怪我でもしたら損だなと思い、素知らぬ顔で通り過ぎて行きます。では日本国憲法は、国際紛争を解決する手段としてこの「防御的威嚇」をも禁じているのでしょうか。実はこの問題については知る限りにおいて議論されたことはなく、額面通りなら憲法違反と言えますが、自衛のためだから自然権として認められると考えるのが国際常識です。

「防御的威嚇」こそ、現代における軍事力の本質を体現しています。領土・領域の拡張や市場拡大など積極的国策遂行のために軍事力を使用する時代は、欧米や我が国などの先進国の世界では過ぎ去り、過去のものとなりましたが、一部の国家等においては21世紀の今日も生き続けています。また先進国においても過ぎ去ったはずの軍事力の役割が復活する可能性はゼロとは言えません。ですから、主権と国民の生命財産を守るためには、相手を怖がらせるに足る「防御的威嚇」のできる十分な軍事力と決死の覚悟で牙をむく外交力が必要になります。

クマやライオンに対しては猫の威嚇は意味を持たないように、「防御的威嚇」の効果を発揮させるには、脅威となる対象国との相対的な力関係が重要となります。自由社の教科書に書いている「安全保障のジレンマ」がまさにそうです。強過ぎても、弱過ぎても問題が生じる恐れがあるということです。

Ⅱ 冷戦時代の防衛構想

 1 国防の基本方針

  昭和32(1957)年、「国防の基本方針」というわが国の生存と安全を確保し、独立と主権を守るための基本的な考え方を示した重要な文書が閣議決定されました。日本が主権を回復してから約5年、防衛庁・自衛隊が発足してから3年後のこの時期、世界は冷戦の初期段階にあり、アメリカの対日政策は日本の非軍事化から再軍備へと大きく舵を切った直後でした。

自由社は「国防の基本方針」について触れていますが、その内容については記述していません。東書・帝国は用語さえも出てきません。しかし、この文書は我が国の安全保障戦略の根幹的な考え方を明示したものであり、国民はある程度知っておくべきことです。

国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある。この目的を達成するための基本方針を次のとおり定める。

(1)国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する。

(2)民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。

(3)国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。

(4)外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果し得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。

この方針文書には「専守防衛」という用語はありません。「専守防衛」という用語を国会答弁で初めて使ったのは、昭和30(1955)年7月の杉原荒太防衛庁長官でしたが、すぐには定着に至らず、昭和45(1970)年防衛庁長官に就任した中曽根康弘が国会答弁でこの用語を多発し、さらにこの年刊行された防衛白書において「我が国の防衛は、専守防衛を本旨とする」と明記されたことによって政治用語として定着・普及しました。専守防衛は閣議決定された戦略用語ではないのですが、この用語がその後の我が国の防衛政策に及ぼした悪影響は想像以上に大きく、なぜ「戦略守勢」という国際的にも通じる用語を使わなかったのか惜しまれてなりません。

この4項目の方針の中で最も重要なのは、第2項「民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する」にあると思います。「民生の安定」と「愛国心の高揚」が安全保障の基盤であるというのは卓見です。昭和32年以降現在まで約60年間、歴代政権は、民生の安定については社会保障政策等でやり過ぎではないかと思うほど力を入れてきましたが、「愛国心の高揚」については安倍政権になって少し行われただけで、殆どと言っていいほど行われなかったことは周知のとおりです。ですから、残念ながら我が国には十分な安全保障基盤が今もって形成されていないということになります。

2 防衛計画の大綱と防衛力整備計画

  昭和32年、政府は「国防の基本方針」とともに中長期的な防衛力整備計画の大綱を定める「防衛計画の大綱(以下「大綱」と略す)」を策定しようとしましたが、国論がまとまらず、5年毎の防衛力整備計画(第1次~第4次)のみを定め防衛力の構築に努めることになりました。

 昭和47年から始まった第4次防衛力整備計画が4兆5000億円(5年間の総額)を超えたことから、メディアや世論の批判を受けるようになり、昭和51年、政府は大綱を定め、防衛経費もGNP比1%以内とする上限を設定、大綱の中に主要な装備や部隊の数の上限を示した別表を加えました。この別表の意味は大きく、これは防衛力整備の目標となる一方で、別表に示す値を超えてはいけないということで歯止め・足枷ともなりました(末尾別表参照)。

GNP比については、昭和61年第3次中曽根内閣の下で撤廃され、総額明示方式に変わりましたが、その後も一応の目安とされています。

 その後大綱は、(平成)07大綱、16大綱、22大綱、25大綱と5度にわたって改定されてきました。従って最初の51大綱は、1976年から1996年までの我が国が急激な経済成長を遂げた20年間の防衛力整備の基本的枠組みを決定づけたものであり、現在の自衛隊の実力に与えた影響は極めて大きいものがあります。

 3 基盤的防衛力構想

 冷戦時代の最大の特徴は、マルクス・レーニン主義が正当性を維持し、共産主義が資本主義に勝つかも知れないと一部の人々が考えていたことでした。進歩的と称する人々は共産主義擁護のための言動に忙しく、共産主義社会実現に比すれば極めて小さな問題である南京大虐殺、従軍慰安婦などについては殆ど話題にすらなりませんでした。

米ソの巨大な核戦力の均衡による冷戦時代は、ベトナムや中東など一部の地域を除けば最も平和な時代であり、人種・宗教問題に起因するテロもなく、恐怖の均衡と言われながらも世界的に見れば一番安定していた時代であったとも言えます。

我が国は、支那や韓国から歴史戦を仕掛けられることもなく、東西の戦力が対峙する東アジアの防波堤としてひたすらに極東ソ連軍だけを見て防衛力を構築すればいいという単純な戦略(北重視)で済みました。しかも我が国の背後には信頼のおける米軍が控え、アメリカの対ソ戦略は日本なしには成立しないという我が国にとっての強みを持っていました。

そういった状況の中で我が国が採った防衛構想は「基盤的防衛力構想」というもので、「自らが力の空白となってこの地域における不安定要因とならない」ことを基本とし、「限定的かつ小規模な侵略に対しては速やかにこれを撃退できる隙間のないバランスのとれた防衛力を構築する」というものでした。

わが国独自に対処できない大規模な侵略事態というものは、必然的に大掛かりな準備を必要とするので、我が国はそれを事前に察知して防衛力の急速拡大(エキスパンション)するとともに、米軍の来援をもってこれを阻止するという構想です。

冷戦時代に日本に対し小規模であっても侵攻できる軍事的能力を有した国は、アメリカを除けば唯一ソ連だけであり、日本に近接する支那、北朝鮮、韓国、台湾いずれの国も渡海して日本を攻撃できる力は皆無と言っていいほどでしたから、我が方の防御態勢もシンプルな考え方で済みました。しかも東アジアの中で米軍のプレゼンスが最も濃厚な日本本土に対して、ソ連が小規模とはいえ直接的な軍事力行使を行うことは殆ど考えられませんでしたので、「力の空白」を作らないという基盤的防衛力構想は情勢に即した現実的な戦略でした。

ソ連が日本へ侵攻する時は、ソ連の指導者がアメリカとの軍事衝突を覚悟した時であり、巨大な二つのパワーがぶつかり合うときには、日本は好むと好まざるに拘わらず巻き込まれるという地政学的位置にあったことから、日本は米ソの勝敗を決する戦略的位置に置かれていたわけです。

米ソの核戦力は、地上配備の大陸間弾道弾(ICBM) 、原子力潜水艦から発射する弾道弾(SLBM)、戦略爆撃機から発射する核ミサイルの3種の攻撃手段から成っています。これを「トライアッド」といいますが、精度的には敵地に近づける戦略爆撃機が最も優れ、次にICBM、SLBMという順になります。しかし残存性は水中深く潜航するSLBMが最も優れ、次に戦略爆撃機、ICBMという順になります。運搬できる核弾頭の量は、ICBMが最も多く、 次にSLBM、戦略爆撃機が最も小さくなります。戦力運用の柔軟性では戦略爆撃機、SLBM、ICBMの順になります。このように3種の攻撃手段には長所・欠点があり、これらをバランスよく保有することが核戦略上の要請でした。

アメリカに比し海空の通常兵力で圧倒的に劣勢でかつ核戦力でも質的に劣るソ連の頼みの綱は、残存性に優れるSLBMによって米国内の大都市や戦略重要地点に対して反撃を加える第2撃能力でした。そのためには原子力潜水艦を潜ませることのできる海域が不可欠です。それに適した海は、西ではバルト海(平均水深55m、最深部459m)、東ではオホーツク海(平均水深838m、最深部3,658m)しかなく、圧倒的に深さのあるオホーツク海は、原子力潜水艦の根拠地として最適でした。

そのためソ連はオホーツク海を聖域化する戦略を採ります。樺太、千島列島、カムチャッカ半島に最新鋭戦闘機を配備してオホーツク海の制空権を確保し、この海域にアメリカの攻撃型潜水艦や対潜航空機などSLBMを脅かす戦力が進入することを完全拒否する態勢をとったのです。しかし、オホーツク海の南西部に位置する北海道だけは開かれており、ここから米空軍兵力が突破を試みる余地は十分残されていました。そこでアメリカは三沢基地の空軍力の強化を図りました。当時の最新鋭機であったF-16 の配備です。勿論いざというときには千歳基地など北海道の航空基地に前進配備できます。稚内、網走、根室のレーダー・サイトもオホーツク海の南部上空を監視できます。

日本は米ソの核戦略のアキレス腱を握っていたことになります。アメリカ優位とはいえ相互確証破壊(MAD) の論理によって保たれていた均衡は、1980年代後半レーガン大統領の提唱したICBMなどの無力化を図る戦略防衛構想(SDI:別名スターウォーズ計画)によって大きく崩れることになります。SDIは実現することはなかったものの、ソ連はアメリカの構想に追随できず、冷戦終結の一大要因となりました。



Ⅲ 冷戦後の防衛構想

 1 日米同盟の再定義

   共産主義陣営の敗北による冷戦の終焉は、必然的に「日米同盟」の意義を問い質すものとなりました。同盟の大前提であるソ連の脅威が忽然と消えてしまったのです。かつて、ワシントン会議で締結された四カ国条約に伴って破棄された日英同盟の如く、同盟上の共通の脅威であったロシアがなくなってしまった以上、同盟の意義はないではないかとアメリカに迫られ、やむなく日英同盟を破棄せざるを得なかった1920年代と同じような状況が生じました。

 当然ながら大正時代の日本軍とは異なり、我が国はいきなり軍事同盟を廃棄できるような状況にはありません。戦前の日本軍は攻防ともに完結した軍事力を備えたものでしたが、戦後の日米同盟は、日本は軽武装で済まし、国外への軍事的なコミットメントを抑える一方で、米軍に基地を提供することによって米軍基地を含めた日本全体を守ってもらうという関係の上に成立しているものです。51大綱においても、自衛隊が攻撃的な役割を担うことに憲法上の制約があることなどから、敵地に対する攻撃という「矛」の役割は米軍に委ね、自衛隊は専ら防勢的な「盾」の役割に徹することによって軍事的合理性を担保し、米軍の駐留という信頼性の高い抑止力といざというときの対処力を確保することを前提とした防衛力整備を行ってきました。

 アメリカにとって冷戦の終焉は軍事的負担を減らす好機となりましたが、それはほとんどが欧州方面であり、アジア・太平洋では前方展開戦力は殆ど維持されました。平和の配当は欧州にだけ恵まれたのです。在欧米軍は30~40万人から東アジアと同じ程度の10万人まで削減されました。

 欧州方面では冷戦構造は完全に消滅しましたが、東アジアでは支那と北朝鮮の共産主義国家が継続し、不安定要因が北から南へ移動しただけでした。従って、ソ連の脅威が消滅した後の日米同盟の再定義は、支那と北朝鮮を共通の脅威とした見直しであったはずです。ところが鄧小平が実権を掌握した支那共産党指導部は、1970年末、日本及びアメリカと相次いで平和条約を締結して、改革開放路線を歩み始めており、日米が支那を共通の脅威とした軍事同盟を結べる情勢にはありませんでした。つまり、共通の脅威がなくなったのです。もちろん脅威がなくなっても本来の軍事力の役割、即ち自らが力の空白となって東アジアに不安定要因をつくらないという基盤的防衛力構想は情勢に適合した戦略として維持されました。とはいえ共通の敵を失った日米同盟の必要性は薄らいでいました。

 ところが冷戦の終焉は、同時に世界各地での宗教・民族問題に端を発する紛争の発生を許容する状況をつくり出しました。というより、米ソが冷戦時代に世界各地で自らが有利となるような民族・宗教を利用するため資金援助や武器供与等の地域政策を行い、不安定要因の種をばら蒔いていたというのが実態に近いでしょう。米ソの巨大パワーが激突していた冷戦期には米ソの軍事圧力で発芽しなかった民族・宗教に起因する武力紛争が堰を切ったように咲き乱れ始めたのです。その先鞭を切ったのが1991(平成3)年1月17日に始まった湾岸戦争でした。湾岸地域に石油の80%以上を依存していた我が国は、湾岸戦争を契機に、国際平和への貢献を安全保障の重要分野と位置付ける方向へと変化し始めました。

 さらにイスラムテロなどによって脅威のグローバル化が叫ばれるようになり、遠く離れた国や地域における混乱や安全保障上の問題が直ちに国際社会全体の問題へと拡散し、我が国も大きな影響を受けざるを得ない状況に至っていると考えられるようになりました。

 そして2011.9.11テロを契機として、我が国においてもテロ組織との戦いが強く意識されるようになり、日米同盟は「民主主義、法の支配、人権の尊重、資本主義経済といった基本的な価値観」を共有する両国が、これらの価値観及び秩序に対する脅威から世界を守る公共財であるとまで言われるようになり、単なる地域協定であるはずの日米同盟がグローバル化への道を進み始めました。日本はアメリカの腰ひもに連なって世界の警察官の手先でも果たすつもりなのか?一体日米安保、日米同盟の本来の目的はどうなったのだ?これが日米同盟の漂流と呼ばれるものです。

 日米安保条約を基軸とした日米同盟は、本来、GHQ憲法によって制約された不完全かつ弱小な我が国の軍事力を米軍が補完することを主たる目的とし、自衛隊は専守防衛で防勢作戦に徹することを想定して締結されたものであり、それ故片務的であると揶揄されてきました。ところが、日米同盟の再定義によって日米安保条約の条文とは無関係ともいえる領域、言い換えれば片務性など関係ない方向へ歩み出しています。



 2 国家安全保障戦略の策定

   平成25(2013)年12月17日、安倍政権は戦後初めての「国家安全保障戦略」を策定し、昭和32(1957)年以来の「国防の基本方針」に代わるものとしました。わが国において戦前戦後を通じて初めて体系的な安全保障の考え方を明らかにしたという点において画期的といえるものです。「国防の基本方針」がA-4 で1頁に収まる簡明な文書であったのに対し、「国家安全保障戦略」はA-4で32頁24,000字にもなる大書ですが、何故か「愛国心」という語が一言も出てきません。国民の愛国心を涵養することなく国防の基盤が整うはずがないことは安倍首相も知悉しているはずですが、策定作業に携わった外務省・防衛省の官僚たちの資質、それを育んだ教育に問題があるのかもしれません。

 本戦略では、先ず、「国際協調主義に基づく積極的平和主義」という理念を掲げ、次いで我が国の国益とは何かを示して、国家安全保障の目標を定めています。その上で、我が国を取り巻く安全保障環境の動向を見通し、直面する課題を特定しています。そして我が国が採るべき外交政策及び防衛政策を中心とした国家安全保障確保のための戦略的アプローチを示しています。

 因みに本戦略が定義する我が国益とは、①主権・独立の維持、②領域の保全、③国民の生命・身体・安全の確保、④豊かな文化と伝統の継承、⑤自由と民主主義を基調とする我が国の平和と安全の維持及び存立となっています。

 全体的に一貫して理想主義が横溢しており、いわば当り障りのない、誰も反対できない美しい内容であるだけに、戦略が持つべき際どさや具体性に欠け、果してこれで我が国に向けられている様々な脅威、例えば尖閣、竹島など領土問題や南京、慰安婦などの歴史戦、外国資本による国土の蚕食など様々な脅威に本当に対処できるのか不安を感じます。例えば核兵器の問題について、8月6日首相が平和記念日に読み上げる「唯一の戦争被爆国として核兵器のない世界を目指す」程度の内容であり、現に存在する周辺諸国の核の脅威や恫喝に対していかなる対応をとるかについては、単にアメリカの核抑止力に期待する以外には何も書かれていません。

 本戦略は、戦略と呼ぶにはおこがましい優秀な外務・防衛官僚の作文であるというのが結論であり、簡単であっても「国防の基本方針」に奥の深さを感じます。少なくとも戦略というからには、外部には洩らせない、大きな声では言い難い中長期的な企てを含むものであってほしいのですが、非公開の秘密部分があるようでもないようです。

3 真の脅威

   脅威について国家安全保障戦略の中では「安全保障環境と課題」という言葉で括っており、その中に、①大量破壊兵器の拡散の脅威、②国際テロの脅威、③海洋、宇宙、サイバー空間といった国際公共財に関するリスク、④北朝鮮の軍事力、⑤中国の急速な台頭と様々な領域への積極的進出などの具体的脅威を挙げています。また、人間の安全保障の課題として経済活動等のグローバル化に伴う海外邦人の危険、貧困、格差の拡大、気候変動等環境問題等にまで言及しており、我が国の安全保障上重大な脅威、致命的な脅威が何であるかがぼやけてしまっています。冷戦時代の如く極東ソ連軍の脅威といった中心的な目標が見えません。 

ISなど非国家主体が繰り返すテロ的戦闘行動が国際社会の大きな脅威となっており、日本政府がアメリカとの深い同盟関係をアピールした代償として我が国・我が国民もテロの標的とされるに至りました。確かにテロへの対処も重要ですが、我が国の安全保障に致命的なダメージを与えるものではありません。

我が国に致命的なダメージを及ぼす危険があるのは支那共産党政権以外には考えられません。核実験と弾道ミサイル打ち上げ実験を繰り返す北朝鮮も注視しておく必要がありますが、我が国に致命的なダメージを及ぼすことはほぼ不可能と考えていいでしょう。北朝鮮については、北朝鮮の軍事力そのものの直接的な脅威よりもむしろ北朝鮮の体制崩壊に伴う朝支那の公表国防費推移(防衛白書)鮮半島の混乱が日本列島に及ぶことの方が重大な危険だと考えられます。

支那の軍事力の脅威が顕在化する情勢とは如何なるものでしょうか。米支の軍事バランスが均衡したときに、南シナ海及び東シナ海を巡って軍事衝突が起きる、或いは支那の台頭によってアメリカの軍事プレゼンスが東アジアから退潮し、アメリカの不干渉主義(孤立主義)が再び目覚めるときではないかと考えられます。トランプ大統領の出現はその兆しとも言えましょう。

昨年、支那の軍事資産がロシアのそれを上回り、2050年にはアメリカを上回ると予想されています。中華人民共和国が成立したのは1949年10月1日でしたから、ちょうど建国百年をもって世界最強国になるという計算になります。正に国家百年の計です。

平成22(2010)年7月1日、支那共産党政府は下記に示す「国防動員法」なる法律を施行しました。

① 支那国内で有事が発生した際に、全国人民代表大会常務委員会の決定の下、動員令が発令される。

② 国防義務の対象者は、18歳から60歳の男性及び18歳から55歳の女性(海外在住者も含む)

③ 国務院、中央軍事委員会が動員工作を指導する。

④ 個人や組織が持つ物資や生産設備は必要に応じて徴用される。

⑤ 有事の際は、交通、金融、マスコミ、医療機関は必要に応じて政府や軍が管理する。
  また、支那国内に進出している外資系企業もその対象となる。

⑥ 国防の義務を履行せず、また拒否する者は、罰金または、刑事責任に問われることもある。

 平成22年末時点での日本在住支那人(台湾国籍は除く)は、約63万3,000人、東京都だけでも16万5,000人で、その人口は漸増傾向にあります。彼らが支那政府の指示に従い日本国内で何らかの行動をとったとき、我が国には予めそれを規制する法律はありません。むしろそれとは逆のヘイト規制法をつくる如く、まったく能天気としか言いようがありません。正に獅子身中の虫ということになります。

 さらには支那に進出している日本企業も事実上没収されることになります。平成28年8月時点で支那に進出している日本企業は約1万4,000社、駐在員事務所を含めると約3万3,000社と言われ、長期滞在している日本人も6万人以上とアメリカに次いで多くなっています。
 支那が南シナ海で何をしようとしているのか。歴史は繰り返すといいますが、その最終目標は南シナ海の聖域化であり、冷戦時代のオホーツク海と同じSLBMの根拠地として、この海を完全な制空権下、制海権下におくことであることは明白です。東シナ海と同じように石油、天然ガス、鉱物などの天然資源を独り占めにするという目的もあるでしょうが、最大の目的は「南シナ海の要塞化」であり、海洋支配力におけるアメリカに対する劣勢を、西沙・中沙・南沙に点在する小島・環礁を埋め立て、滑走路をつくり、港湾を整備して、空軍・海軍の基地を建設することによって逆転することを目論んでいることは疑いようがありません。

 支那の軍事力によって南シナ海が聖域化されると、我が国のシーレーンは大打撃を受けます。その影響は我が国のみならず韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、ベトナムなど広範囲に及び、東アジアは風雲急を告げることになるでしょう。

 我が国にとって真の脅威とは、支那の南シナ海、東シナ海、そして外洋への海洋進出であり、それに伴うアメリカのプレゼンスの低下であると断言できます。尖閣事態は、その一局面として武力紛争化する可能性も十分あります。
 そのときに個別的自衛権か集団的自衛権かなど議論している暇はないでしょう。そして武器の使用は正当防衛又は緊急避難に限る、戦闘地域か非戦闘地域かなどと机上の空論で時を費やしている間に多くの自衛官や海上保安官に殉職者が出ることでしょう。

 本来、軍事作戦は努めて簡明・単純であることが必要ですが、ポジティブ・リストで縛られた複雑・難解な防衛法制によって、スピーディーな対応は困難だと考えられます。

Ⅳ 安保法制と集団的自衛権

 1 平和安全法制(戦争法)

昨年(平成27年)9月30日、安倍内閣は念願の集団的自衛権行使を可能にする所謂「平和安全法制」と呼ばれる防衛関連法の大改正を断行しました。民進党や共産党・社民党など野党が「戦争法」と揶揄する法律です。この法改正は自衛隊法、武力攻撃事態法、周辺事態法、PKO協力法のように新たな法律を創設するものではなく、これら既存の10個の法律に修正を加えただけのものでしたが(「駆け付け警護」を可能にする「国際平和支援法」は我が国の防衛に直接関わるものではないので除外)、”戦後最大の防衛政策の大転換”などとNHKをはじめとするマスメディアが大騒ぎしました。

 国民一般の目から見れば、複雑すぎて簡単には理解しがたいものであるだけに、メディアやSEALDsなどの反対団体の報道の影響を受けて、日本は本当に戦争する国になった、徴兵制が施行される或いは日本の軍事能力はこの法改正によって格段に向上したかのように感じている国民が少なくないかもしれません(賛成は、讀賣、産経、日経、地方紙では福島民友、富山、北國のみ)。

 平和安全法制によって開放された軍事的行動の主たる部分は、①集団的自衛権の一部容認、②米軍等に対する後方支援活動の拡大の2点であり、自衛隊の行動における最大の足枷となっている武器の使用については、「武力行使(防衛出動)」に至らない限り「正当防衛又は緊急避難以外に人に危害を与えてはならない」という但し書がついたままになっております。

2 集団的自衛権の一部容認

   本法改正の最大の焦点は言うまでもなく「集団的自衛権の一部容認」ですが、さらに突き詰めて言えば、我が国が武力攻撃を受けている場合の集団的自衛権の行使については、我が国を守るためのものであれば自衛権の正当な行使であり本来的に許容されるとしたこと、並びに我が国が攻撃を受けていない場合でも、同盟国軍に対する攻撃が我が国の存立危機に至るものであれば集団的自衛権を行使できるとしたことの二点にあります。

 つまり重要な点は、第一に、我が国が現に攻撃されている状況では集団的自衛権の行使は可能とし、防衛出動が下令されれば自衛隊は米軍を守るために武力行使できるとしたことです。この点についてはマスメディアが大きく問題視せず、野党も厳しく追及しなかったこともあって見落とされがちですが、憲法が認めているのは個別的自衛権だけであるとした従来の見解を根本的に変換したことにおいて重要な意味を持っています。

 論議の焦点となったのは、第二の「存立危機事態」即ち「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」において、我が国が現に攻撃されていなくても、友軍を守るため防衛出動を下令し武力行使ができるとしたことでした。

 我が国が集団的自衛権を行使できないのは、例えば第一大戦で欧州に派遣した海軍部隊のようなケースに限られる、即ち今回の改正は集団的自衛権の一部ではなく大部容認と考えてよいということになります。但し、「存立危機事態」の解釈もかなり幅がありそうで実際の運用においては課題がありそうです。

 左翼平和団体等は集団的自衛権を危険なものと看做していますが、事実は反対です。戦後世界各地で起きた戦争や紛争を見れば一目瞭然で、それらの武力衝突は、殆どその全てが個別的自衛権を名目として行われました。武力行使の言訳に集団的自衛権を挙げた例は寡聞にして聞いたことがありません。戦前の日本も三国同盟に基づいてドイツから参戦を求められましたが拒否しました。集団的自衛権を根拠とするのは逼迫性が乏しく、武力行使の正当性を追及された場合の言訳としては説得力がありません。例え嘘でも個別的自衛権即ち国家としての正当防衛を理由とした方が有利なことは常識的にも理解できます。

NATOがドイツに対して個別的自衛権の行使を認めていない理由はそこにあります。NATOは、加盟国に対する武力攻撃に対し、常に全加盟国が自動的に集団的自衛権を行使するという強い軍事同盟になっているので、ドイツはそれを受け容れています。ドイツに個別的自衛権の行使を認めてしまえば、かつてのヒットラーのようになるかもしれないという教訓からドイツに対してだけは制約をかけているのだと考えられます。即ち、本当に危険なのは集団的自衛権ではなく個別的自衛権だということです。集団的自衛権を認めると戦争になるというのは真っ赤な嘘です。

3 武器の使用制限

日本の防衛関係法制が諸外国と著しく違う点は、自衛隊員の武器使用制限にあります。昨年の平和安全法制改正の際、安倍首相が何度も繰り返し強調した平時から有事にかけての「切れ目のない対応」において、武器の使用はどうなっているかと言えば、そこには大きな切れ目が存在します。武力攻撃事態や存立危機事態になって防衛出動が下令されない限り、武器の使用にあたっては陸海空全ての状況下で「正当防衛、緊急避難に該当するほか、人に危害を与えてはならない」という「警察官職務執行法第7条」が適用されます。人に危害を与えないように武器を使用するとは、信号弾射撃、照準による威嚇、実弾威嚇射撃ということでしょうが、小銃や拳銃ならともかく、自衛隊が保有する砲やミサイルなど破壊力が桁違いに大きい兵器において人に危害を与えないように使用するイメージが浮かべるのは容易ではありません。

 防衛出動が下令されるまでは人に危害を与えてはならないというのですが、例えば尖閣事態などにおいて徐々に危機が高まっていくとき、現実的にそのような生ぬるい対応が可能なのか極めて疑問です。

 平和安全法制は至るところで事態の拡大防止、早期収拾を謳っていますが、中途半端な武器使用権限を出動部隊に与えた場合、かえって事態をエスカレーションさせる恐れさえあります。我が領域へ侵入してくる敵国人は、自衛隊員や海上保安官が武器を持っていても決して自分たちを殺傷するような発砲をしないことを知っていると考えるべきであり、そうなれば恐れることなく侵入を繰り返す可能性が高く、それは事態をエスカレーションさせることになりかねません。

 昭和13年満ソ国境紛争として起こった張鼓峰事件を思い起こすとき、近い将来、尖閣付近で国境紛争が起きた場合の我が国の対応を彷彿とさせるものがあります。

極東ソ連軍の増強と共に、ソ連軍による満ソ国境侵犯事件が増加し、かつ侵犯の態様も著しく挑発的になってきた。これはソ連が、極東の軍備拡張で対日戦闘に自信を付けてきたことの表れと見られよう。

 国境紛争は満洲国建国以来昭和9年までの3年間に150件であったが、昭和10年には1年間のみで176件の多きに上り、事件の性質も悪化した。

  上記の文章は張鼓峰事件が起きる前の状況を説明したものですが、ソ連軍を支那人民解放軍、満ソ国境を尖閣に置き換えてみると、現在の東シナ海の状況を説明したものかと錯覚するほどです。平成23年以前はほとんどなかった支那公船による領海侵犯が、平成24年以降急増、平成25年には193回、その後も100回弱の侵犯が続いています。空のスクランブルについては右図の通りです。

次の文章は張鼓峰を巡っての日ソの戦闘模様を表現したものです。

戦局不拡大のため専守防衛を貫く我軍はソ連軍の圧倒的な火力のため損害は急増する一方であった。また攻勢に転じ得る機会があっても、越境が許されなかったため、戦果を拡大できず、敵の攻撃力に壊滅的打撃を与えることができなかった。前述した通り、飛行機の使用は朝鮮軍の要請にも拘わらず、遂に大本営は不拡大方針の故にこれを許さなかった。専守防衛の恐るべき地獄絵図が展開したことは容易に想像されよう。

 戦前の陸軍にしてこうですから、自衛隊の有事は自衛隊部隊にとっての地獄絵図になる、現在の法制で行く限りこれはまず間違いないと言っていいのかもしれません。

Ⅴ まとめ

平和安全法制の改正によって、我が国防衛に係る集団的自衛権の行使が可能になったことは、日米同盟の信頼性を高め、抑止力を強化したことは疑いないところです。しかしそれによって我が国の防衛力が高まったとは言えません。なぜなら、在日米軍も自衛隊もその実力にはほとんど変化がないからです。

また、日米安保条約には一言も改正はありません。日米両国が「憲法と手続きに従い共通の危険に対処する(日米安保条約第5条)」ことについては日米防衛協力のための指針(ガイドライン)(1997年、2015年)においても再確認されており、アメリカが我が国の武力攻撃事態や存立危機事態に対して参戦することを約したものではありません。「憲法と手続きに従い」とは、安保条約第5条に従い日本有事に米軍を出動させるか否かを上院に上程することを約したものであって、否決されれば出動しないことを意味するものです。

 トランプが大統領選で勝ちましたが、これはアメリカが自国のことに専念して他国のことに国家資源を投入したくないという国民の気持ちの一つの表れであり、ましてやアメリカ青年の血を流して他国防衛のために出兵するなどといったことは一層期待薄になったことを意味しています。

我が国周辺における兵力配備状況(防衛白書)図表I-1-2-1 わが国周辺における主な兵力の状況(概数) ではどうするのか?一つは、日米安保条約をNATO並みの自動参戦義務規定の条約へと大改正することです。これは我が国の国情を考えたとき可能でしょうか?またアメリカは応じるでしょうか?

 一つは、憲法を改正し、自衛隊を軍隊へと格上げし、軍隊本来のネガティブ・リストで武力行使及び武器の使用ができる仕組みへと法律を大改正し、更に防衛費を漸次増額して、NATO並みのGNP2%規模まで増大させること、即ち自主防衛力を格段に向上させることです。これは我が国の国情を考えたとき可能でしょうか?

 一つは、愛国心教育を強化し、国民に国防の義務を付加し、国益を損なう国民の売国的言動を取り締まる法整備を行い、民間防衛能力を格段に強化することです。これは我が国の国情を考えたとき可能でしょうか?

 上に記したことはどれ一つとっても実現期待薄若しくは不可能に近いことばかりですが、何もしないわけにはいかない、できそうなことから少しずつやっていかざるを得ないわけです。今回の集団的自衛権の一部容認も安倍首相の気持ちから言えばそういうことだったのかもしれません。



とりあえずできそうなことが、憲法9条を改正して、自衛のための交戦権を明確にして、自衛隊を国防軍に格上げすることだと考えられます。また、我が国の領土・領域に係る国際紛争に関しては、外国の公権力が我が領域を侵害している場合には、これを排除するため自衛権を発動することができるよう憲法改正を行うことです。

我が国若しくは我が国周辺で我が国に直接・間接の重大な危険が及ぶような戦争・紛争を発生させないためには、日本海から東シナ海又は南シナ海にかけての領域において、日米両軍がタッグを組んで圧倒的とはいえないまでも相当に強力なパワー・ポテンシャルを維持しておく必要があり、そのためには我が国の軍事力のハード(装備)面での強化は勿論ですが、ソフト(武力法制)面の抜本的改善が必要不可欠です。 その基幹的戦力は、第7艦隊空母部隊のパワー・プロジェクション能力、航空自衛隊の制空戦闘能力及び対地・対艦攻撃能力そして海上自衛隊の海洋制圧能力及び対潜水艦攻撃能力の三つの能力です。この三つの能力に関していえば、量的には十分とは言えないものの、当面に限れば、東アジアにおいて、支那の野心が表面化するのを抑え込むことはできそうです。

究極的に最も重要なのは何をいっても国民の健全な国家安全保障観の醸成であり、そのためにも中学校歴史・公民教育の適正化を図ることがいままで縷々述べてきたことの抜本的な対策になるのではないでしょうか。(終)


 *参考文献等

①『防衛ハンドブック2016』 平成28年3月31日 朝雲新聞社

②「中学校公民教科書28年度版」自由社、東京書籍、帝国書院

③『大東亜戦争への道』中村粲 平成2年12月8日 展転社

④『平成28年度防衛白書』Web.防衛省ホームページ



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別表